《噂の否定》

題しらす/この歌、ある人、あふみのうねめのとなむ申す 読人しらす(一説、あふみのうねめ)

やましなのおとはのやまのおとにたにひとのしるへくわかこひめかも (664)

山科の音羽の山の音にだに人の知るべく我が恋ひめかも

「題知らず 詠み人知らず(一説 近江の采女)
噂としてさえ人が知るように私が恋するだろうか。」

「山科の音羽の山の」は、同音の「音(おと)」を導く序詞。「だに」は、副助詞で最低条件を表す。「(知る)べく」は、推量の助動詞「べし」の連用形。「(恋ひ)め」は、推量の助動詞「む」の已然形。「かも」は、終助詞で反語を表す。
恋の噂はとかく立ちやすいものです。しかし、噂を連想する「音羽の山」ですが、「山科の音羽の山」は、私の住む近江とあなたの住む京都を隔てています。むしろ噂は広がりにくいと思います。しかも、事実としてはもちろんのこと、噂としてさえ人が知るように私が恋をするでしょうか。決して私はそんなことはしません。
作者は、噂を気にする男に対して「私は、そんなうかつなことはしないので、ご安心ください。」と答えた。つまり、こう言うことで男がまた訪ねてくるのを促しているのである。
「山科の音羽の山の」は同音の「音」を導く序詞として働くだけでなく、「音羽の山」が作者の住む近江と京都を隔てるので噂が広まりにくいことも表している。この二重の働き方が独創的で効果的である。また、「(音に)だに」「(知る)べく」「(恋ひ)めかも」の助詞と助動詞の使い方が見事である。編集者はこうした点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「噂に立てられるような恋の仕方を私がすると思って?人に知られるような恋の仕方を決して致しませんわ」言っている事はこれだけ。読み手に序詞で情景を思い描かせる。山に囲まれた状況、音を立てれば一瞬にしてこだまして響き渡る。この聴覚状況から視線に晒される視覚状況を連想させる。なんと巧みな事でしょう!

    • 山川 信一 より:

      私は音羽の山を音を遮る山として捉えましたが、音を響かせる山とも取れますね。「しがも」ではなく、「でも、私は・・・」と転じるのですね。これも一つの読みとして成立しています。

      • すいわ より:

        詞書の彼女の居場所に悩みました。采女だとやんごとない方の官女、都の中心にいて、都の外れの山科まで噂が届くのか?「近江」の采女だとお山の向こうの滋賀に居ることになる?
        歌を優先して冒頭の「山科の音羽の山の」“音”の方にフォーカスして山の内側に彼女を置いて読んでみたのですが、詞書の「近江」気になります。

        • 山川 信一 より:

          詞書は一説です。私はこれを考慮して読みました。しかし、考慮しない読みもあります。それが作者を山の内に置いた読みです。采女も事情で近江(志賀)にいることもあるのでしょう。

  2. まりりん より:

    上の句の 山科の音羽の山の音  同じ文字が繰り返されて、韻を踏むように詩的なところも印象深いです。
    恋は秘め事。やはりここでもこの恋は隠し通しますと相手に安心感を与えている。現代で時々見られる、わざと噂が起こすような無粋なことはしないですね。

    • 山川 信一 より:

      同音の繰り返しによる序詞ですね。韻を踏む効果を利用しているのでしょう。
      恋を秘めることは恋を大切にすることです。その思いを伝えているのですね。

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