《恋歌のお手本》

題しらす とものり

はるかすみたなひくやまのさくらはなみれともあかぬきみにもあるかな (684)

春霞棚引く山の桜花見れども飽かぬ君にもあるかな

「題知らず 友則
春霞棚引く山の桜花を見ても満足しないように逢っても満たされない君であるなあ。」

「春霞棚引く山の桜花」は、「見れども飽かぬ」を導く序詞。「(見れ)ども」は、接続助詞で逆接を表す。「(飽か)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「(ある)かな」は、終助詞で詠嘆を表す。
春霞が棚引く頃の山の桜花は、いくら見ても心満たされることがありませんね。しかし、これと同様に、いえ、それ以上に心満たされないものありました。それはあなたです。私はあなたにいくら逢っても逢っても堪能することがありません。あなたは、私にとって「春霞が棚引く頃の山の桜花」以上の存在なのです。
作者は、堪能できない物として「春霞が棚引く頃の山の桜花」を出してきた。春霞のベールに包まれた山の桜花は、確かに見飽きるととがない事物の代表だ。「桜花」を「春霞」「山」が二重に限定している。そのため、その姿を見極めることが困難だ。なるほど、夜の闇の中で逢う女性もその美しさを見極めることが難しい。さらに、恋の妙味となれば尚更である。容易に堪能することなどできない。したがって、この序詞は、恋のたとえとしてふさわしい。
この歌は序詞も見事であるが、穏やかな調べも持っている。友則らしい歌のお手本のような歌である。しかし、芸術はその模倣であってはならない。このレベルを如何に乗り越えていくかが問われる。編集者は、その超えるべき基準を示したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「霞か雲か」という歌がありましたね。
    春の山を彩るのは天女の羽衣のように棚引く霞か咲き乱れる桜か。スフマートで描いたような境界のない柔らかさに包まれる。夢の中を揺蕩うようでいくら見ていても見飽きる事がない。これに匹敵するものなど、あぁ、貴女に何度お会いしても貴女の魅力を知り尽くせないのと同じですね、、。はっきりとしないのに心惹かれてやまない。たとえの引き合いに出してくるものが秀逸。見飽きることのないもの、他に何があるでしょう?春の穏やかな海、麦の穂波と菜の花、夏空の入道雲、雲間から覗く月、真冬の星の動く音、、、

    • 山川 信一 より:

      素敵な鑑賞です。友則も満足してくれるでしょう。友則の歌は完成していますが、恋歌のお手本としてふさわしい。これに倣って、題材を替えればいい。「春の穏やかな海、麦の穂波と菜の花、夏空の入道雲、雲間から覗く月、真冬の星の動く音」どれも歌になりそうです。

  2. まりりん より:

    春霞でぼんやり見える桜花を、夜闇の中で逢う女性に例えているのですね。なるほど、確かによく見極めようとじっと見入ってしまいますね。全てを知り得ないから余計に惹かれるのかも。。

    • 山川 信一 より:

      「春霞棚引く山の桜花」は、言われてみれば、見事なたとえですね。「春霞棚引く」「山の」「桜花」と無駄な言葉がありません。作者が惹かれる訳が伝わって来ますね。

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