現代人は何を手掛かりにする?

 男女とも年ごろになれば、異性に関心を持つ。それを利用して金儲けをする輩はいくらでもいる。しかし、そんなのは、本当の結びつきじゃない。男女という脳の構造が異なる生き物が結びつくには何か手掛かりがいる。平安時代の貴族にはそれがあった。和歌の贈答である。現代を生きる我々はそれを疾うに失ってしまった。我々には、それに替わる恋の作法が無い。メール?LINE?まだまだだ。和歌の優雅さ、それゆえの感動には遠く及ばない。文明は発達したけれど、文化は衰えてしまった。表現力も鑑賞力も。だけど、もう一度、和歌を復活できないかな。短歌を恋の道具として。短歌の本質は相聞なのだから。文化は死んでいない。眠っているだけだ。短歌で異性を口説いてみよう。

コメント

  1. すいわ より:

    短歌とか、俳句とか、ハードルが高いです。俳句は瞬間を切り取る写真のようだし、短歌は、たった三十一文字の中に一編の物語が詰まっている感じ。語り尽くすには言葉のストックとテクニックを要しますよね。前回の講義の時にも思ったのですが、昔の人達はこの超絶技巧を息をするが如く繰り出しているのですね。

    手紙を書く時、どんな用紙に書こうか、インクは何色にしよう、封をする前にもう一度読み直し、切手はどれにしよう、ポストの前で本当に出したものかと逡巡、投函してコトリとポストの底に落ち込んだ音を聞いて、出した、あー、出してしまったと思う。やっている事は似ていても、テクニックも瞬発力も皆無です。
    メール、LINEは連絡を取るには便利なものだけれど、私にとっては心を乗せて伝えるには向きません。言葉ってキャッチボールするものと思っているのですが、何を書こうかと思うそばから吹き出しが連打されていって、どれに返事をしたものかわからなくなってしまう。ピッチングマシーンで言葉を連続して投げつけられているような心持ちで、受け止めきれない。喉の奥にしがみついている言葉を外に出すまでに時間がかかるのです。って、ここまでがそもそも長い。
    短歌への道のり、遥か彼方、です、、。
    コメント、四角の中に収まるように努力致します。

    • 山川 信一 より:

      すいわさんと思いは一緒です。自分だけの、でも、相手にも伝わる表現手段を見つけたいですね。そして身につけたい。私もそれを探して、古典を読んでいます。一緒に探していきましょう。
      コメントありがとうございます。ブログを書く張り合いが出ます。これは私が在職中にしてきた授業の延長です。私はこんなふうに授業をしてきました。そして、これからもします。

      • すいわ より:

        ありがとうございます。
        つい、調子に乗ってグダグダと書き込んでしまい、ご負担をお掛けしていたのではと申し訳ない思いでおります。
        先生の生徒さん達は幸せな国語ライフを送られたのでしょうね。
        今後ともご教授、宜しくお願い致します。

        • 山川 信一 より:

          私は生徒達に「これからもずっとあなたたちの先生です。」と言って、お別れしてきました。
          このブログでの授業はその答えなのです。授業はまだ続いています。
          でも、すいわさんのような新しい生徒も大歓迎です。

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