《効果的な技巧》

題しらす 清原ふかやふ

みつしほのなかれひるまをあひかたみみるめのうらによるをこそまて (665)

満つ潮の流れひるまを逢ひ難みみるめの浦によるをこそ待て

「題知らず 清原深養父
昼間は逢い難いので、夜を待っているが・・・。」

「満つ潮の流れ」は、「干る」を介した同音の「昼」の序詞。「(昼間)を(逢ひ難)み」は、「・・・が・・・ので」、あるいは「・・・を・・・状態にして」の意。「みるめの浦」は、「寄る」を介した同音の「夜」の序詞。「みるめ」は、「海松布」と「見る目」の掛詞。「こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし次の文に逆接で繋げる。「待て」は、四段活用の動詞「待つ」の已然形。
満ちた潮の流れは昼間干上がります。干上がれば、漁師は海松布を苅る仕事ができなくなります。そのように、昼間はあなたに逢うのが難しい状態です。ですから、ひとまず観念して、海松布を苅る浦に波が寄せ潮が満ちて来る夜を待っているのですが・・・。
当時は逢瀬は夜と決まっていた。それがこの時代の恋のルールである。しかし、作者は、逢えないことが苦しくてならない。夜ばかりか昼間にも逢いたいのである。そんな強い思いを昼間海の潮が干上がるイメージで表している。心が満たされずカラカラなのだと。
この歌も前の歌と同様に自然物を題材にしている。編集者は「山」の歌に対して「海」の歌を配した。この歌は、序詞、掛詞を駆使した極めて技巧的な歌である。ただし、技巧は、作者の一筋ならぬ思いを表すためであり、決して技巧のための技巧ではない。したがって、技巧の適切な用い方を示している。編集者はその点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    冒頭「満つ潮」で歌を送った相手との逢瀬が満たされたものであったことを伝えつつ、その時間が遠退いて行く事が口惜しい、と。過ぎてしまった時間「潮が干る」と今の時間「昼」、それに加えて自分の心模様まで表しているのですね。昼間はどうあっても会う事が叶わない。また潮満ちる夜を(潮目が変わってみるめが打ち寄せて来るのを)待つしかない、でも、あぁ、会いたくて仕方がない、、。確かに歌の造りが凝っています。凝っている以上に心の渇きが伝わってくる。上手いですね。

    • 山川 信一 より:

      「満つ潮」が「相手との逢瀬が満たされたものであったことを伝え」るというご指摘、なるほどその通りです。潮の満ち引きのイメージを巧みに生かした歌ですね。

  2. まりりん より:

    要約すると 昼ではなくて夜逢おう と。それだけの中に序詞や掛詞を駆使して、逢えない時間の苦しみや夜逢う理屈や、待ち遠しい気持ちや色々なことを訴えていて、感心というより驚きです。

    • 山川 信一 より:

      歌は(本当はすべての言葉は)要約などできません。一つ一つの言葉にそれを使った意味があります。国語教育の誤りは、それを誤解させることです。生徒はいつしか言葉は要約すればいい、要旨がわかればいいと信じるようになります。この歌は、その誤解を解いてくれそうです。

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