《清らかな愛》

題しらす 平貞文

しらかはのしらすともいはしそこきよみなかれてよよにすまむとおもへは (666)

白河の知らずとも言はじ底清みなかれて世世にすまむと思へば

「題知らず 平貞文
知らないとも言うまい。心底清らかに長く通おうと思うので。」

「白河の」は、「知らず」の枕詞。「(言は)じ」は、打消意志の助動詞「じ」の終止形。「清み」は、形容詞「清し」の語幹と接尾語「み」で「・・・という状態で」の意を表す。「なかれて」は、「流れて」と「泣かれて」の掛詞。この「れ」は自発。「(住ま)む」は、意志の助動詞「む」の終止形。「住む」は、女のところに通うことを意味する。「(思へ)ば」は、接続助詞で原因理由を表す。
二人の関係を人に問われても知らないと言って隠すこともしません。なぜなら、底が見えるほど白河の水が常に澄んで流れているように、私も自然に泣いてしまうほど心底から清らかにあなたのことを愛しているので、年月を越えてあなたの元に通い続けようと思うからです。
作者は二人の関係を公にしても構わないと言う。これは、永遠の愛の誓いであり、言わば、結婚の決意だろう。恋もいつしか終わる。しかし、それは、激しい恋から穏やかな愛への移行にもなり得る。この歌は、「私たちはいつまで人目を忍ぶままでいるのですか。」という女の訴えに答えたのだろうか。それとも、この関係に飽きてしまった女を引き留めようとしたのだろうか。
編集者は、前の「海」の歌に続き「河」の歌を配した。枕詞の「白河の」が「知らず」を超えて「底清み」にまで関わり、作者の清らかな心を暗示している。清らかを連想させる「白河」の水は常に澄んで流れ続ける。それによって、読み手は作者の思いを具体的にイメージできる。このたとえが秀逸である。編集者は、そこを評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    彼女へ嘘偽りない決意表明をする。あなたとの関わりを世間へ公言する事を躊躇わない。白河の如く清廉潔白な私の真心、それが川の流れのように幾久しく続く事、何を隠し立てする必要があるだろう、、女に泣かれて絆されてこの歌を贈ったのだとしたら直情的で無鉄砲に感じなくもない。水の清らかさ(心)に間違いはないのかもしれないけれど、流動的な流れのイメージ、さて、女はどう受け止めるのでしょう?

    • 山川 信一 より:

      恋の心も進むにつれて次第に形を変えていきます。何事も川の流れのように移ろうもの。だから、女も移ろいそのものには異を唱えないでしょう。恋心だけが例外ではないことを知っているでしょうから。しかし、それでも変わらないものもあります。それがあなたへの思いの清らかさだと言うのです。

  2. まりりん より:

    恋は秘め事。人に知られたら終わってしまうのでは? 長く通い続けたいのであれば、尚のこと噂が広まらないようにしなくては。言っていることが矛盾しているように思うのですが。。つまり、恋を終わりにして結婚へと。プロポーズの歌とも取れる?

    • 山川 信一 より:

      恋が秘め事というのは、所詮恋の演出にすぎません。いざとなれば、これを放棄することだってできます。なぜなら、恋の本質じゃないので。でも、「恋は秘め事」にしておくから、破る楽しみも出て来るのです。ルールには破る楽しみがあります。たとえば、修学旅行で夜寝ないで話すのは楽しかったでしょ。それは、寝なくてはいけないからでもあるのです。

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