《微妙な感情》

題しらす 読人しらす

あきのたのほにこそひとをこひさらめなとかこころにわすれしもせむ (547)

秋の田の穂にこそ人を恋ひざらめなどか心に忘れしもせむ

「表立ってあなたを恋しがらないだろうが、どうして心に忘れもしないのだろうか。」

「秋の田の」は、「ほ」に掛かる枕詞。「ほ」には、〈稲の穂〉と〈表立つ〉の意が掛かっている。「(穂に)こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし以下に逆接で繋げる。「(恋ひ)ざらめ」の「ざら」は、打消の助動詞「ず」の未然形。「め」は、未確定の助動詞「む」の已然形。ここで切れる。「などか」は、副詞で疑問を表す。「(忘れ)しも」は、強意の副助詞。「(せ)む」は、未確定の助動詞「む」の連体形。
秋の田の穂が目立つ季節になりました。でも、私はその穂のように表立ってはあなたを恋しがらないでしょう。なのに、心とは不思議なものです。どうして心ではあなたを忘れもしないのでしょうか。心の中では、あなたへの恋心は秋の田の稲穂のように実っています。
稲穂という秋の風物を想像させつつ、「ほ」を掛詞としても用いている。このことで、読み手の恋人の意識を離すことなく、自分の思いを伝えている。また、自分でも捉えにくい思いを正直にそのまま述べている。変に小細工しない方が恋人に誠意が伝わると思ったのだろう。
前の歌とは秋繋がりである。「田の穂」という具体的な事物を利用しつつ、「穂」は、掛詞にもなっている。また、「こそ」「こひ」「こころ」と「こ」の音を連ねて調べをよくしている。この歌には、未確定の助動詞「む」が二箇所使われている。(「(恋ざら)め」と「(忘れしもせ)む」)それによって、きわめて曖昧、あやふやな感情を表している。(『古今和歌集』では、助動詞の使い方にこだわりを持っている。)しかし、人間の感情とは本来そういうものであり、それほどはっきりしたものではない。この歌は、そうした微妙な感情を捉えている。編集者は以上の点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    幼馴染み、いつでも一緒。いるのが当たり前。そんな間柄。だから私と君、特別な関係なんてあり得ない。なのに何故だろう、思えばいつでも心に君が棲みついて忘れることがない、、伊勢物語の「筒井つの」が頭に浮かびました。当たり前に季節は巡り稲穂は実る。冒頭の枕詞で二人の未来を暗示しているし、助詞の使い方ひとつで心の揺れを表現出来るところが面白いです。

    • 山川 信一 より:

      実っているのに、表には見せない恋心。しかし、決して忘れない。なるほど、思春期の恋にも当てはまりますね。「筒井つ」の二人もそうでしたね。「詠み人知らず」の歌は、状況を限定しません。

  2. まりりん より:

    表向きは極めて冷静。思っている素振りも見せない。でも心の中では、静かにずっとあなたを思い続けている。
    こういうタイプの方、日本人には特に、結構いますね。思いを一方的にぶつけるばかりでなく、こういう慕い方も、これはこれで奥ゆかしくて素敵だと思います。

    • 山川 信一 より:

      表向きの態度と心の中が懸け離れている。これは日本人には珍しくありませんね。まして、恋は秘め事。秘すれば恋、秘すからこそ恋なのですから。しかも、歌の背景は稲穂。いかにも日本的風景ですね。

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