《あやしい恋しさ》

題しらす 読人しらす

いつとてもこひしからすはあらねともあきのゆふへはあやしかりけり (546)

いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり

「いつと言って恋しくないことはないけれど、秋の夕暮れは尋常ではないなあ。」

「恋しからずはあらねども」の「ず」は、打消の助動詞「ず」連用形、「ね」は、打消の助動詞「ず」の已然形で、二重否定になっている。「とても」の「とて」は、格助詞で前提を表す。「も」は、係助詞で強調を表す。「(ず)は」は、係助詞で取り立ての意を表す。「ども」は、接続助詞で逆接を表す。「(夕べ)は」は、係助詞で取り立てを表す。「(あやしかり)けり」は、詠嘆の助動詞「けり」の終止形。
いつだって、あなたが恋しくないことなどありません。一年中どの季節もあなたが恋しくてなりません。けれども、秋の夕暮れ時は尋常ではありません。これが自分なのかと不思議に思うほどあなたが恋しくてなりません。
この歌も秋の情緒を利用して自分の気持ちを訴えている。秋のもの悲しさは誰しもが経験しているからである。「あやし」とは、普通ではない、理解に苦しむの意である。秋の夕暮れ時の恋しさのほどに戸惑っていることを言う。作者は、その戸惑いをそのまま述べることで、自分の恋心を伝えている。
前の歌とは秋繋がりである。前の歌に比べると、くどさ、わざとらしさが感じられない。二重否定が使われているけれど、押しつけがましさがなく、むしろ、さりげなさが感じられる。「けり」は、これまで気が付かなかったことに気づいた場合の感動を表すが、それが効果的に使われている。また、「あ(らねども)」「あ(きの)」「あ(やしかりけり)」の頭韻が効いて、全体として歌の調べが滑らかである。編集者は、こうした点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    秋の夕暮れ時、あなたを恋しく思うのは常の事だけれど、あの沈む夕日を見ていると並々ならぬ思いに溺れてしまう、、歌なのだけれど、横にいてポツリと零れた言葉を聞いているようで、すっと心に落ちてくる。秋、fall、落ちて行く。その感情はきっと生きるもの全てが同調するものなのでしょう。昏れなずむ夕日に染められ、恋の色に溺れて行く。溶けて落ちていくことを止められない。

    • 山川 信一 より:

      恋は秋の釣瓶落としの日のようにあっという間に落ちていくものかも知れません。秋は落ちるに最も似つかわしい季節ですね。

  2. まりりん より:

    あなたに逢えないことはいつもと同じように寂しいけれど、秋のこの時期、この時間はより一層寂しさが募る。夕暮れの空にこの身が吸い込まれて消えて無くなってしまいそう。。

    • 山川 信一 より:

      恋しさに、秋のもの悲しいさ、もの寂びしをブレンドしたらどうなるのでしょう。自分自身でも会ったことのない見知らぬ自分に出会えるかも知れません。そんな「あやしい」気分になったことはありますか?

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