《乾かぬ袖》

題しらす 読人しらす

ゆふされはいととひかたきわかそてにあきのつゆさへおきそはりつつ (545)

夕さればいとど干がたき我が袖に秋の露さへ置き添はりつつ

「夕方になるとますます乾きがたい私の袖に秋の露まで置き加わっていることだなあ。」

「(夕され)ば」は、接続助詞で条件を表す。「さへ」は、副助詞で添加を表す。「つつ」は、接続助詞で動作の反復継続とそれへの詠嘆を表す。
夜は恋の時間帯です。しかし、夕方なると、私の袖は私の涙で濡れてますます乾きがたくなります。この涙は、もちろんあなたに逢えないことへの悲しみの涙です。あなたに逢えぬまま、季節は秋になりました。秋はそれでなくても、もの悲しく露しげく湿っぽい季節です。私の袖には、秋の露までもが置き加わって乾くことなどなくなってしまいました。
考えてみれば、自分以外の人の気持ちなどわかるはずがない。人それぞれである。しかし、季節感であればあまり変わらないはずだ。少なくとも、個人の感情よりも普遍的である。秋になれば、露が降りて湿っぽくなり、誰もがもの悲しくなる。作者は、この季節感を利用する。この季節感に言寄せて、自分の悲しみを伝えるのである。
この歌は、「夕」という時刻、恋の悲しみの涙で濡れる袖、「秋」という季節の季節感、「露」の湿っぽさと条件を畳みかけている。そして、それを「さへ」によって示し「つつ」によって余韻を持たせている。編集者は、こうしたテクニックを評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「夕暮れ時ともなれば濡れた袖も乾きにくくなる」ということは夕暮れる前から既に袖は濡れていたのですね。泣いて暮らした。それでなくても悲しみに暮れているのに秋はこの袖に露を置く。乾く間もない。「つつ」だから毎日この状態が続いているのですね。「おきそはりつつ」、秋のせいで殊更に寂しい。でも、露でさえ私に添ってくれる。冷たいあなたよりまだ優しい、、。

    • 山川 信一 より:

      そうです。「いとど(干がたき)」ですから。それに、「秋の」露が置き加わり続ける(「つつ」)のです。何重にも作者を悲しく侘しくさせます。それでも、「露」は寄り添ってくれるまでましと思えるかは微妙ですね。

  2. まりりん より:

    逢えない夜はただでさえ寂しいのに、「秋」の季節感でより一層寂しさが募る。この歌は、ただひたすら「寂しいよ〜」と訴えているように思えます。

    • 山川 信一 より:

      そうですね。その寂しさをわかって貰うために何重もの仕掛が懲らされています。

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