《糟糠の妻》

題しらす よみ人しらす/このうたは、ある人、つかさをたまはりてあたらしきめにつきてとしへてすみける人をすててたたあすなむたつとはかりいへりける時に、ともかうもいはてよみてつかはしける 

からころもたつひはきかしあさつゆのおきてしゆけはけぬへきものを (375)

唐衣たつ日は聞かじ朝露の置きてし行けば消ぬべきものを

「題知らず よみ人しらす/この歌は、ある人が地方官に任命されて新しくできた妻に心を寄せて、長年通い住んでいた人を捨てて、ただ「明日立つ」とだけ女の元に言ってきた時に、あれこれ言わないで詠んでやった
立つ日は聞くまい。あなたが私を置いて行くので、消えてしまいそうなのだから。」

「唐衣」は、「たつ(裁つ)」に掛かる枕詞。「たつ」は、「裁つ」と「立つ」の掛詞。「(聞か)じ」は、打消意志の助動詞「じ」の終止形。以下は、倒置になっている。「朝露の」は、「置き」に掛かる枕詞。「(置きて)し」は、強意の副助詞。「(行け)ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「消ぬべきものを」の「消」は、「朝露」の縁語になっている。「ぬ」は、完了の助動詞「ぬ」の終止形。「べき」は、推量・予想の助動詞「べし」の連体形。「ものを」は、接続助詞で順接を表す。上の文に繋がる。
地方官の職を得た男が長年連れ添った妻を捨てて、若く綺麗な妻を連れて下る時に、「明日立つ」とだけしか言ってこなかった。その薄情な男に恨みつらみをくどくど言わないで元の妻が詠んだ歌。
よれよれになった唐衣のように慣れ親しんだ仲を裁つように、あなたは、私への労いの言葉も無く他国に出発します。それなのに、なぜ出発の日だけ教えるのですか。まさか、見送りに来いとでも言うのでしょうか。旅立つ日がいつかなど聞こうとは思いません。なぜなら、あなたが私を置いていくので、朝露が直ぐに消えてしまうように、あなたに捨てられた私は直ぐに死んでしまいそうなのですから。聞いたところで、今更意味がありません。
『後漢書』に「糟糠の妻は堂より下ろさず(貧しい時から連れ添って苦労を共にしてきた妻を追い出すことはしない)」とあるけれど、実際は大抵、男は出世すると、若くて綺麗な妻を得て、糟糠の妻を捨てる。地位・金・女こそ普通の男が求めるものだからである。『後漢書』の宋弘のように立派な男は滅多にいない。だから、女は出世して自分を捨てる男にすがりついても、惨めになるだけである。幸せになれるはずもない。だから、ここは、「寸鉄人を殺す」ような歌で男に己の非情さ・醜さを思い知らせた方が復讐になる。時に、歌は百万言を費やすよりも人の心に突き刺さる。人生はいろいろだ。こんな別れの歌もある。

コメント

  1. まりりん より:

    すぐに消えてしまう「朝露」が儚げで、最初にこの歌を読んだ時は、未練いっぱいの思いを伝えているのかと思いました。
    しかし嘆きの歌をよそおって、今まで支えてきた自分を捨てて若い女性に目が眩んだ非業な夫に愛想を尽かし、復讐を目論んでいる。この時代、こういうことは「よくある話」だったのかも知れません。だから、泣き喚いたところで仕方なく、歌で男性の非業を思い知らせた。才女の元妻に一本取られた訳ですね。この「ある人」は、心が痛んだでしょうか? そうであったことを願います。

    • 山川 信一 より:

      女性のこの心理は、時代を超えて普遍的なものではないでしょうか?もし、まりりんさんが元の妻の立場だったら、どうしますか?未練いっぱいに男に縋りますか?多分そうしませんよね。女はそんなに柔な存在ではありますん。この歌が人に知られれば、少なくともこの男は恥をかいたと思います。

  2. まりりん より:

    ん〜、どうかな…。縋るかどうかわかりませんが、私だったら更に大恥をかかせる手段を考えるかも。。 せっせと和歌の腕を磨くのも一つ。
    先生が仰った  寸鉄人を殺す  は、お恥ずかしながら存じませんでしたが、こういう場面にピッタリですね。

    • 山川 信一 より:

      「縋るかどうかわかりませんが、私だったら更に大恥をかかせる手段を考えるかも。」!?これは、矛盾した感情ですね。それが女心というものなのでしょう。

  3. すいわ より:

    この男、自分は当たり前に誰からも愛されると信じていて、自分がどんな振る舞いをしても受け入れられると思っている。目の前に欲しいものがあれば後先考えず手を伸ばす。きっと元妻を「邪魔だ」とすら思っていない。『だって、今、これが欲しいのだもの』、子供です。だから何食わぬ顔で『明日、旅立つから』と言って寄越せる。元妻もそんな男を分かっている。こんな男にこの先縛られずに済むことを良しとしよう。貴方が断った縁、旅立つ日など知ったことではない。私は貴方の頭の中から露のように儚く消えゆくのみ、と。
    詞書きからすると「題知らす」は良しとして「よみ人しらす」はあり得ませんね。ここまで歌の説明がされている。編集者の身内か、あるいはごく近しい人がこんな目に遭ったのか?「よみ人」明かせず、なのでしょう。元夫、まさか千年後にまで恥を晒すことになろうとは思いもよらなかったでしょう。当時も恥に気付かなかったのですから。勝負ありましたね。

    • 山川 信一 より:

      男が女を捨てたとも、女が男を捨てたとも言えそうですね。女は完全に男を見限っています。こんな男はダメです。これは、内容がシリアス過ぎるが故の「詠み人知らず」だったのでしょう。個人名を出したら、それこそ千年後まで恥を晒すことになります。「詠み人知らず」は、編者の「武士の情け」ではないでしょうか。

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