《悟りの境地》

題しらす よみ人しらす

こりすまにまたもなきなはたちぬへしひとにくからぬよにしすまへは (631)

懲りずまに又も無き名は立ちぬべし人憎からぬ世にし住まへば

「題知らず 詠み人知らず
性懲りもなくまたも無き名が立ってしまったようだ。人が憎くない世に殊更住み続けているので。」

「懲りずまに」は、副詞。「(立ち)ぬべし」の「ぬ」は、完了の助動詞「ぬ」の終止形。「べし」は、推量の助動詞「べし」の終止形。ここで切れる。「(憎から)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「(世に)し」は、強意の副助詞。「(住まへ)ば」は、接続助詞で原因理由を表す。
ああ、性懲りもなくまたも根も葉もない噂が立ってしまったようだ。うんざりしてしまう。けれど、仕方のないことだ。なぜなら、そんな噂を立てるのが人というものの本性なのだから。そして、私はそうする人を憎むことのない世に敢えて住み続けているのだから。本当に人が憎かったら、隠棲すればいい。なのにそうしないのは、結局私も人が憎くないからなのだ。
何度も根も葉もない噂を立てられることを嘆きつつも、こう歌うことで自分を納得させている。ある種哲学的悟りの境地である。しかし、その実、それを装った口説きの歌であろう。つまり、「人憎からぬ世にし住まへば」は「私はあなたを憎く思わない世の中に住み続けているので」「あなたを思うからこの世にいるので」を意味するのである。これならば、噂にめげずにこの恋を続けましょうという誘いになる。
どうやっても「無き名」を無くすことはできない。それが人の世なのだから。ならばどうすればいいのか。編集者は、この歌を「無き名」に対処するための結論として取り上げたのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    これは物凄くモテる人が「全く、引くて数多でどうにも裁きようがない、全ての女性は愛おしい存在なのだから致し方ないのだけれど、そんな私の方から求めてしまうのはあなたなのですよ」と言っているように聞こえなくもない。大した自信。光源氏か?という感じ。そんなに浮き名を流すのなら、そのうちの一つに入ってもかえって目立たないという事か。まさに悟りの境地。今更そんな、気にしてもね、という恋愛上級者なのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      「人憎からぬ」を〈どうしたって女性を憎く思えない〉〈女性に恋をしてしまう〉の意に取ることもできそうですね。つまり、噂は身から出てた錆びなのでと。恋と噂は付きもので、「無き名」が立つのは仕方がないと。まさに、「恋愛上位者」の悟りの境地です。この解釈の方が単純で素直かも知れません。

  2. まりりん より:

    世間を達観していますね。よみ人知らずか。。作者は「大人」で寛容な人なのでしょう。ささくれだった心が癒されるような、こちらのイライラを鎮めてくれるような歌ですね。贈られた人は口説かれてしまえば良いと思います。そばにいれば、きっと心がホッと休まることでしょう。

    • 山川 信一 より:

      確かに作者には、余裕が感じられますね。こういうタイプが好きな女性もいることでしょう。激しいだけが恋ではありませんから。

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