《断りの歌》

題しらす をののこまち

みるめなきわかみをうらとしらねはやかれなてあまのあしたゆくくる (623)

みるめ無き我が身を浦と知らねばや離れなで海人の足弛く来る

「題知らず 小野小町
海松布・見る目が無い私の身を浦・憂しと知らないから、離れてしまわないで海人が足がだるくなるまで来るのか。」

「みるめ」は、海草の「海松布」と「見る目」の掛詞。「うら」は、「浦」と「憂し」の掛詞。「(知ら)ねばや」の「ね」は、打消の助動詞「ず」の已然形。「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「や」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(離れ)なで」の「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。「で」は、打消の意を伴う接続助詞。「来る」は、カ行変格活用の動詞「来(く)」の連体形。
海草が無い浦だと知らないから、漁師は遠ざかることもなく足がだるくなるまでやって来るのでしょうか。あなたはその漁師に似ています。私が逢う価値の無い嫌な女だと知らないから、私から遠のきもしないで、足がだるくなるまで足繁く通ってくるのでしょうか。でも、それは無駄というものですよ。私はもうあなたに逢う意志がありません。それがおわかりになりませんか。
しつこい男を振るにはどうしたらいいか。いつの日も難しい課題である。下手をすると、振った男がストーカになりかねない。納得の上、諦めさせねばならない。そこで、作者は、自分を海松布が無い浦のように価値の無い憂き女だと言って、嫌な女に徹している。そして、愚かな漁師のたとえによって、男に自分の姿を思い知らせたのである。
前の歌が秋の野の露を題材にしているのに対して、この歌は海の海松布を題材している。よって、両者の関連は薄い。それぞれ独立した、それなりの事情が有っての歌であろう。しかし、『伊勢物語』では、前の歌の返しになっている。この並びを見て、二つを関連づけたくなり、小町が業平をこっぴどく振る話に仕立てたのだろう。業平を振るのだからよほどいい女でなければなるまい。その点、小町ならそれにふさわしい。遊び心が伺える。

コメント

  1. まりりん より:

    自分は逢う価値も無い愚かな女。だから、こんな女を追いかけるような事は時間の無駄ですから、と相手への気遣いをみせるのかと思ったら、、、こんな愚かな女を追いかけるなんて、貴方も愚かですね、と嫌味を言っているのですね。何と手厳しい!

    • 山川 信一 より:

      男にしても、女にしても、別れたい時に、自分をダメな人間に見せるのが常套手段です。付き合う時に、少しでもよく見せようとするのと反対ですね。小町もそれに従っただけで、特に「嫌味を言っている」訳ではありません。

  2. すいわ より:

    「見る目が無い」訳ではない。誰もが焦がれるあの人なのだから。それを敢えて「私のような者に浮かれて足繁く通ったところで甲斐のない事よ」とあしらう。「みるめなき」、頭から「会わない」宣言もされていて、ハードルの高さに気付けると良いのだけれど。当代きってのモテ男モテ女の歌を並べて、編集者の遊び心が歌の魅力を更に引き出していますね。

    • 山川 信一 より:

      「みるめなき」は、あなたに見る目が無いの意も掛けているようですね。相手を拒絶する場合はこれくらいはっきり言ってやった方がいいのでしょう。変に期待を持たせるべきではありません。女性には参考になりそうですね。編集者は、業平と小町の歌を並べることで、物語を読み取らせようとしたのでしょう。『伊勢物語』は、それに形を与えました。

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