《恋の一場面》

題しらす 藤原たたふさ

いつはりのなみたなりせはからころもしのひにそてはしほらさらまし (576)

偽りの涙なりせば唐衣忍びに袖は絞らざらまし

「題知らず 藤原忠房
偽りの涙であったら、人目を避けて袖は絞らないだろう。」

「(涙)なりせば」の「なり」は、断定の助動詞「なり」の連用形。「せ」は、サ変動詞「す」の未然形。「ば」は、接続助詞で仮定を表す。「唐衣」は、「袖」に掛かる枕詞。「(絞ら)ざらまし」の「ざら」は、打消の助動詞「ず」の未然形。「まし」は、反実仮想の助動詞「まし」の終止形。
私の涙が心にも無い見せ掛けのものでしたら、こんな風に誰にも知られないようにこっそりと、涙でぐっしょり濡れたこの袖を絞るなどということはないでしょう。
恋は進行中である。この歌の前にも、何度か歌のやり取りがあったはずだ。作者は、逢えない悲しみに涙を流すといった内容に歌を贈った。すると、相手から、「あなたは涙を流すとおっしゃいますが、偽りの涙ではありませんか。」という歌が贈られてきた。この歌はそれへの返歌のように思われる。この場合、いかに反論し、いかに誠意を伝えるかが問われる。「唐衣」は、相手の歌で使われていたのだろう。その言葉を引用しつつ、この歌では、「せば」「まし」の仮定をすっきり使っている。恋はこうしたやり取りの中で徐々に深まっていく。
この歌は、恋の一場面を切り取ることによって、恋の過程や全体像を想像させている。言わば、この歌には物語性がある。編集者は、その点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    わざわざ見せつけるのでなく、隠した所に私の真意があると詠んだこの歌、まず詠み手が男性なのに「唐衣」に違和感を覚えたのですが、なるほど、相手からの歌に使われていたであろうこの一言によって歌の前後のドラマが見えてくるのですね。
    一連のやり取りの一部を抜き取って、見えていない部分を見せる。この編集の仕方が歌のそれと連携しているところが面白いです。

    • 山川 信一 より:

      和歌は、短歌と違って、それ自体で独立していることは稀です。前後のつながりを感がて読むべきです。すると、一層味わいが増しますね。

  2. まりりん より:

    歌のやり取り、、知性とユーモアが要求されますね。返歌によって相手に惹かれることもあれば冷めることも。。作歌にも力が入ることでしょう。恋人との歌のやり取り、楽しそう。
    さて、この後はどう返されたでしょうか。もう一段、やり込められそうな気が。。

    • 山川 信一 より:

      同感です。恋の醍醐味は、歌のやり取りにあります。今なら、LINEのやり取りかな。知的レベルが下がったような。

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