《命以上のもの》

題しらす 読人しらす

こひしきにいのちをかふるものならはしにはやすくそあるへかりける (517)

恋しきに命を替ふるものならば死には易くぞあるべかりける

「恋しい状態に命を替えるものなら、死ぬのは容易くあるに違いないなあ。」

「(もの)ならば」の「なら」は、断定の助動詞「なり」の未然形。「ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(易く)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「べかりける」の「べかり」は、推量の助動詞「べし」の連用形。「ける」は、詠嘆の助動詞「けり」の連体形。
あなたが恋しくてなりません。あなたに逢えるなら惜しいものなど何一つありません。もし、命と交換で恋しくなくなるなら、この命さえも差し出します。恋しいという精神状態はそれほどつらいものなのです。あなたに逢えるのなら、死ぬことなど容易いことに違いありません。私はそれに気づいて驚いています。こんなにもあなたに恋するとは思ってもみませんでした。私の恋する思いのほどをわかっていただけたでしょうか。あなたは自分の命以上の存在なのです。どうか逢っていただけませんか。
作者は、恋しく思うことのつらさを命によって説明している。逢って恋しさから逃れられれば、命を捧げてもいいとまで言うのだ。大袈裟ではあるけれど、恋のためなら死んでもいいとは、一度でも恋をした者なら誰しもに共感できる思いだろう。恋とは、命がけの営みであるからだ。さて、この歌は、目に見える具体的な事物が出て来ない。思いだけを述べた歌である。一般的に、思いだけを述べた観念的な歌は、気持ちが伝わりにくいと言われる。だから、その元になった具体物を描写しなさいと。しかし、この歌は具体物がなくても共感できる普遍的な心理を扱っている。編集者は、その心理を捉え、それを暗示する形で表現した点を評価したのだろう。また、同時に、仮定「ば」、強調「ぞ」、推量「べかり」、詠嘆「ける」の使い方が巧みである点も評価したのだろう。『古今和歌集』の歌は、助詞・助動詞の使い方を重視しているからである。

コメント

  1. まりりん より:

    この恋に命をかけていると。作者の本気度が伺えますね。このように真剣になられたら、女性も真剣に相手と向き合わなければ、と思いますね。適当にあしらうような失礼なことは出来ません。

    • 山川 信一 より:

      女性の誠意に訴えるのですね。ただ、重いと思われる危険性もあります。恋の駆け引きは難しそうです。

  2. すいわ より:

    恋しい状態と死の苦しみを天秤に掛けて死ぬ方が断然マシ、恋するこの気持ちの辛さは筆舌に尽くしがたい、と。死の実感の無い若い恋、恋に全振り、今を存分に謳歌しているのですね。今の若い世代には「重い」の一言で片付けられてしまいそうですが、「言葉」を持った「ひと」として、言葉で熱を伝える文化、残していきたいものです。

    • 山川 信一 より:

      平安時代と今とでは、恋の人生に於ける比重が違ってしまったようです。今では、人生は恋のみに非ずと考えるようになったのでしょう。では、今の時代どんな言葉が恋の相手の心を捉えるでしょうか。恋の言葉によっても、時代が見えてきますね。

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