《技巧で訴える》

題しらす 読人しらす

いせのうみのあまのつりなはうちはへてくるしとのみやおもひわたらむ (510)

伊勢の海の海人の釣り縄うち延へてくるしとのみや思ひ渡らむ

「伊勢の海の漁師の釣り縄を長く伸ばすように苦しくとばかり思い続けるのだろうか。」

「伊勢の海の漁師の釣り縄」は、「うち延へて」の序詞。「釣り縄」には、釣り糸を沢山仕掛ける。「うち延へて」は、〈縄を長く延べる〉意と〈時間的にずっといつまでも〉の意を掛けている。「くるし」は、「繰る」と「苦し」の掛詞。「(のみ)や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(思ひ渡ら)む」は、推量の助動詞「む」の連体形。
伊勢の海の漁師は釣り縄を長く延ばして、それに糸を沢山付けて手繰り寄せて漁をします。その〈繰る〉様子が私には〈苦しく〉に感じられます。私は、あの縄を長く延ばすようにずっと長くいつまでも、あなたを苦しいだけで恋い続けるのでしょうか。
作者は、相手の心を摑もうと様々に工夫を凝らしている。それなのに、効果が無く長い間苦しむことになるのかと訴えている。その自分を表現技巧を懲らすことで示している。この歌は、前の歌を同じ題材を使っている。ただし、たとえがシンプルな「うけ」からイメージの豊かな「釣り縄うち延へて繰る」と具体的になっている。そして、表現技巧も前の歌が助動詞「つ」によるのに対して、この歌は凝ったものになっている。また、思いの訴え方も対照的で、この歌では、相手の同情をかおうとしている。編集者は、この二つの歌を通して、題材の用い方と表現技巧のバリエーションを示している。

コメント

  1. すいわ より:

    「海人の釣り縄うち延へて」、きっとこれまでに何度も文を送ったり歌を詠んで贈ったりしたのでしょう。恋を「仕掛け」てみたもののつれない相手は色良い返事をくれない。それは正しく海人が長い延縄を折角手繰ったというのに何一つ釣果が無かった時のようだ。こんな状態がいつまで続くというのだろう。苦しくて仕方がない。
    実際に漁に出たことなどないのでしょうけれど、停滞する恋の進捗に苦悩する姿が思い浮かべられます。

    • 山川 信一 より:

      「海人の釣り縄うち延へて」がたとえているのは、まさにその通りです。上手い比喩ですね。恋の当事者はどちらも貴族ですから、知識としてしか漁は知りません。でも、イメージすることができればそれで十分なのです。

  2. まりりん より:

    作者は、前の歌を意識して上をいこうとしたでしょうか。あるいは、同じ作者だったりして。振り向いてくれない相手に、手を変え品を変え訴えている? 個人的には、前の歌の方がすっきりして好みです。

    • 山川 信一 より:

      二つの歌は、歌合の歌だったのかも知れませんね。敢えて同じ題材を使って、趣の違う歌を作っています。だとしたら、優劣を付けざるを得ません。けれども、編集者としては、それはできかねたのでしょう。だから、どちらも採用しました。どちらもいい歌です。好みの問題は別にして。

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