《新鮮で大胆な発想》

題しらす よみ人しらす

かきくらしことはふらなむはるさめにぬれきぬきせてきみをととめむ (402)

掻き暗しことは降らなむ春雨に濡れ衣を着せて君を留めむ

「同じことなら空をかき曇らせて降ってほしいなあ。春雨に濡れ衣を着せて君を留めよう」

「(降ら)なむ」は、願望の終助詞。ここで切れる。「(とどめ)む」は、意志の助動詞「む」の終止形。
春雨がしとしと降ってきました。別れの涙雨でしょうか。でも、どうせ降るなら、そんな中途半端なことではなく、空をかき曇らせて大降りに降ってほしいものです。春雨に衣が濡れればあなたは帰ることができなくなるでしょう。春雨に濡れ衣を着せたいものです。
新鮮で大胆な発想である。普通なら、春雨をまるで私の涙みたいだと言う程度だろう。それを本降りになってほしいと言うのだから。つまり、春雨に無実の罪を着せたいと言う。ここでは「濡れ衣」に実質的な意味と慣用の意味を二重に持たせている。この発想と表現の工夫によって、相手は作者の心を特別のものとして受け止めることになる。ただし、誰でもこの発想や表現に共感が持てるだろう。これは普遍的な思いでもある。こうした普遍性の発見を詩と言うのである。

コメント

  1. まりりん より:

    雨が激しく降ったせいで衣の袖がびしょびしょに濡れてしまった。だから貴女は帰れない、此処に留まることになる、と。そうなることを願っているわけですね。
    衣を濡らす雨が濡れ衣を着せられる…斬新で面白い発想ですね。
    このような歌を贈られたら、思わず笑みがこぼれそうです。

    • 山川 信一 より:

      そうですね。でも、帰るのは普通男でしょう。この歌の作者は女と見るべきです。これは女の切ない思いです。だから、北原白秋の「君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ」が新鮮なのです。

  2. すいわ より:

    帰り際に、折よく春の雨が降り出したのでしょうか。でも、春の暖かな優しい雨では足留めさせるほどの力はない。「もっと降ってほしい」と思うのも、「帰したくない」と思うのも詠み手のもの。だから雨に「濡れ衣」を着せるのですね。分かりきっているのに春の雨のせいにしてほんの僅かな時間であっても、まだいて欲しい。降り出した「雨」の中、それでも帰ろうとする人を見て「雨」に取られる、とやきもちを焼いているようにも思えてきます。雨がもっと強く降るよう願いつつ、(あの雨は)優しいフリをして貴方を散々な目に合わせるのだから、まだここにいて、と。

    • 山川 信一 より:

      何としても男を引き留めたい女の切ない恋心が伝わって来ますね。雨さえも味方に付けてしまおうとしているようです。

  3. まりりん より:

    ああ、確かに、男性が女性の元に通うのですよね。
    この白秋の歌は存じませんでしたが、さくさく は、雪と合わせて林檎の食感を想わせますね。素敵です。

    • 山川 信一 より:

      ちなみに、これは不倫の歌です。白秋は姦通罪で告訴され、投獄されます。しかし、白秋はそれでも、いやそれだからこそ、この恋を美しく歌いたかったのでしょう。
      私はこの歌以上の美しい恋の歌を知りません。

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