《公的な歌》

藤原のちかけかからもののつかひになか月のつこもりかたにまかりけるに、うへのをのこともさけたうひけるついてによめる 平もとのり

あききりのともにたちいててわかれなははれぬおもひにこひやわたらむ (386)

秋霧の共に立ち出でて別れなば晴れぬ思ひに恋ひや渡らむ

「藤原後蔭が唐物の使いで九月の下旬に下った時に、殿上人が酒をくださった折に詠んだ 平元規
秋霧が立つのと共に出発して別れてしまったならば、晴れない思いに恋い渡るのだろうか。」

「別れなば」の「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。「ば」は、接続助詞で「仮定」を表す。「晴れぬ」は、「秋霧」の縁語。「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「(恋)や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(渡ら)む」は、推定の助動詞「む」の連体形。
秋霧が立つのと共にあなたが出発して別れてしまったら、私たちは晴れない思いであなたを恋い続けるのでしょうか。つらいことになります。
前と同じ場面での歌である。前の歌と同様に季節を詠み込んでいる。ただ、喧しい「蟋蟀」ではなく、音もなく立つ「秋霧」である。白い霧が辺り一面を次第に覆っていくように、別れの悲しみが静かに人々の心に染みわたっていく。そして、それはこの先も長く続くことを予感させる。作者は、その場にいる人々のそんな思いを代表して詠んでいる。前の歌は私的な思いを、この歌は公的な思いを詠んだのだろう。別れの悲しみの動と静とが対照されている。

コメント

  1. すいわ より:

    前の歌と趣きは違いますが、いずれも旅立つ人との別れを惜しんでいる事が伝わって来ます。音もなく立ち込める秋霧。視界も遮られ、存在を確かめ合うかのように酒の酔いも手伝って皆口々に思いの丈を伝えたのでしょう。別れの寂しさが霧を介して伝播する。今ここにいても寂しく思うのに、本当に旅立って姿が見えなくなってしまったら、、この寂しさに果てはない。私たちの思いと共に霧は立ち広がっていく。

    • 山川 信一 より:

      編者が前の歌とこの歌とを並べて載せた意図を考えたいと思います。蟋蟀と秋霧、歌の調べ、藤原氏同士と平氏など対照的です。この歌では落ち着きが感じられます。オフィシャルな歌だったのでしょう。

  2. まりりん より:

    前の歌と同じ場面の「詠み人違い」ですね。確かに、賑やかに鳴いている蟋蟀と音のしない秋霧は、動と静で対照的なことが印象深いです。前の歌が、別れの悲しみを周囲に訴えて共感を得ようとしている一方で、この歌は悲しみを受け止めてじっと耐えているようにも感じます。でも悲しみを耐え忍ぶのは公の場での自制した振る舞いで、本当は喚き泣きたいのかも知れませんね。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、前の歌が感情を露わにしているのに対して、この歌では大人の態度なのですね。しかし、悲しみに変わりはないと。悲しみを堪え忍ぶことがかえって悲しみを表すこともありますね。

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