《晩秋の別れ》

藤原ののちかけかからもののつかひになか月のつこもりかたにまかりけるに、うへのをのこともさけたうひけるついてによめる ふちはらのかねもち

もろともになきてととめよきりきりすあきのわかれはをしくやはあらぬ (385)

諸共になきて止めよ蟋蟀秋の別れは惜しくやはあらぬ

「藤原後蔭が唐物の使いで九月の下旬に下った時に、殿上人が酒をくださった折に詠んだ 藤原兼茂
一緒にないて止めろ、蟋蟀。秋の別れは惜しくはないか。」

「止めよ」は、下二段動詞「止む」の命令形で、「蟋蟀」に命じている。「(惜しく)やは」の「や」も「は」も係助詞で反語を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(あら)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。
藤原千蔭が外国船が来た時に船の荷物を調べる役職で、九月の下旬に筑紫の国に下ることになった。その折に殿上人が送別の酒をくださった。それを頂き少し酔いつつ詠む。
今日は秋の最後の日で、明日からは冬になる。蟋蟀よ、私も泣くから私と一緒に鳴いて、秋が行くのを止めてくれ。秋との別れは、惜しくはないか、そんなことはあるまい。お前にとっても私同様につらいはずだ。しかも、あなたがお役目で筑紫に下ります。季節は、あなたとのお別れを殊更につらいものにしています。
作者は、藤原千蔭を送別する歌を季節を絡めて詠んだ。秋の終わる日に蟋蟀が盛んに鳴いている。それを秋を惜しむものと見る。その上で、自分も同様であり、共にないて止めようと言う。その上で、その感情を藤原千蔭との別れを惜しむ感情に重ねている。読み手には、自らの秋を惜しむ経験から藤原千蔭との別れを惜しむつらさが伝わってくる。詞書に酒が出て来るのは、酒の席での歌ですという謙遜があったからだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    送別の宴。秋も深まり肌寒さも手伝って、いやましに別れが辛く感じられる。盛んに鳴く蟋蟀。お前も秋の行くのが寂しかろう?泣き落としでも何でもこの場に止めさせよ。私も本当なら貴方をお役目とはいえ、遠方などに送り出したくないのだ。寂しい限りで泣きそうだ。泣き言も言いたくなる。蟋蟀の鳴く様は大人気なく感情的になる我が姿。酒宴での戯言と大目に見て下され、、。
    大人としての体面はあるでしょうけれど、時に心を露わにする事も必要。私はお酒を飲まないのでわかりませんが、お酒にはそういう力があるのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      いささか酒に酔っています。今日で秋ともお別れ。そして、あなたともお別れです。それで思わずこんな無粋な歌を詠んでしまいました。あなたと別れる悲しみで心乱れております。酒の席と言うことでお許しください。こんなところでしょうか?私も酒の楽しみを知りません。飲まない者にはわからないこともありますね。

  2. まりりん より:

    美しく彩った秋がいってしまう。そして、あなたも旅立ってしまう。私は取り残されたようで何とも寂しい。行く秋を惜しむように鳴いているキリギリスに、共感を求めているように思います。
    キリギリスに、自分と対等に語りかけていますね。これもお酒の力?

    • 山川 信一 より:

      いささか表現が乱暴な感じがします。相手とはそれが言える間柄なのでしょう。感情のままに表現している感じが出ていますね。酔っているという言い訳も暗示して。ちなみに、キリギリスは今のコオロギを指しています。コオロギの鳴き声をイメージして読んでください。

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