《恋歌の実用性》

題しらす たたみね

かせふけはみねにわかるるしらくものたえてつれなききみかこころか (601)

風吹けば峰に分かるる白雲の絶えてつれなき君が心か

「題知らず 忠岑
風が吹くと峰に分かれる白雲のようにすっかりつれない君の心だなあ。」

「風吹けば峰に分かるる白雲の」は、「絶えて」を導く序詞。「(吹け)ば」は、接続助詞で条件を表す。「(心)か」は、終助詞で詠嘆を表す。
白雲が風が吹くと峰のところで二つに吹き分かれています。分かれた雲は、二度と合うことはありません。それを見ていると、分かれた雲が一度は結ばれたのに今ではすっかり冷たくなり逢ってくれないあなたの心に思えてなりません。
恋の歌は、何のために詠むのか。自分の心を慰めるという理由がある。その一方で相手の心を動かそうという目的もある。それが恋の歌の実用性である。この歌はそれを重んじて作ったのだろう。本音であっても、独りよがりでは効果が薄い。この歌は、実景によって、相手の今をたとえている。優雅な風景にたとえることによって、相手の抵抗を減らし、思いを受け入れてもらおうとしている。ただし、穏やかな歌の方が常に相手の心を捉え得ると決まっている訳ではない。実用性の面から言ってもケースバイケースである。一般論は無い。
歌の表現には様々なものがある。この歌は、前の躬恒の歌とは対照的に穏やかな表現・調べを有している。ただし、斬新さには欠ける。編集者は、この違いを際立たせるために並べたのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    確かに分かりやすく、誰もがこの情景を思い描けそうです。既視感がある。でもそれでは他と比べて目を引かない事にもなる。あと一色加えて目立たせないと埋もれてしまう。匙加減が難しいですね。なるほど前の歌とは対照的で歌集=恋の指南書、なのですね。

    • 山川 信一 より:

      表現はまさに「匙加減」ですね。『古今和歌集』は、恋だけでなく歌の指南書を自認して作られているようです。仮名序でも「今の世中、いろにつき、人のこころ、花になりにけるより、あだなるうた、はかなきことのみいでくれば」と嘆いていましたから。

  2. まりりん より:

    美しい白雲が、風が吹いてゆっくりと二つに分かれてゆく様が目に浮かびます。雲の儚げなイメージから、何となく「哀れ」を感じます。この歌を贈られたら、作者が可哀想に思えて優しくしたくなります。「同情」を誘う歌ですね。

    • 山川 信一 より:

      忠岑の歌は、恋歌の完成形の一つですね。大人の落ち着きや人柄が伝わって来ます。まりりんさんがこんな風に惹かれるのもよくわかります。

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