《さりげない巧みさ》

題しらす たたみね

つきかけにわかみをかふるものならはつれなきひともあはれとやみむ (602)

月影に我が身を変ふるものならばつれなき人もあはれとや見む

「題知らず 忠岑
月に私の身を変えるものなら、つれない人もあわれと見るだろうか。」

「(もの)ならば」の「なら」は、断定の助動詞{なり」の未然形。「ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(あはれと)や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(見)む」は、推量の助動詞{む}の連体形。
見上げる秋の夜空には、美しい月がかかっています。人々はその美しさを堪能していることでしょう。しかし、私はあの月に我が身を変えることができたらなあと思ってしまいます。なぜなら、もしそんなことができたら、私のことを少しも顧みてくれないあなたもきっとご覧になって「あはれ」と心を動かしてくださるでしょうから。
この歌を贈ったのは、月の美しい夜なのだろう。作者は、その情景を利用して恋の歌に仕立て上げた。自分を月に重ねることで、相手は自分を意識することなく月を見ることができなくなる。そのため、月を見て動かされたであろう相手の心が自分に向けられることになる。
優雅な調べを持った歌である。表現はさりげなく、内容が読み手の心に抵抗感無く入って来る。少しも、押しつけがましいところがない。その実、相手の心を巧みに自分に向けている。前の歌と同様に、忠岑らしさが感じられる。編集者は、恋の歌の一つの完成形として評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    これは中々に切ないですね。そのままの自分では受け入れてもらえない。
    澄み切った空に浮かぶ月。もし、あの月にこの身を変えられるのなら、振り向いてもくれないあなたが自らこちらを仰ぎ見て「あぁ、なんて素敵!」と心震わせてくれるのではないだろうか、、。今、同じものを見て同じ思いを抱いているに違いない相手。ならばその月に自分を入れ替えられれば、思いは通じるのではないか、と。なるほど、こんな歌を貰ったら月を見る度に詠み手の事も思わずにいられませんね。

    • 山川 信一 より:

      さりげなく自分を月に重ねているところは巧みですね。「変ふるものならば」と言いながら、月の美しさがオーバーラップして感じられます。そう仕組んだのでしょう。見事です。

  2. まりりん より:

    前の歌にも哀れを感じましたが、この歌もまた違った趣向で哀れを感じますね。情景は切ないけれど、とても素敵。最近始まった大河ドラマで、主人公がやはり月を眺めながら恋文(だったかな?)を詠む場面がありましたね。平安の雅さを感じます。

    • 山川 信一 より:

      そつのない巧みな表現ではあります。しかし、一方で「いかにも」と言った物足りなさも感じます。少々陳腐ではないかと。編集者は、様々な歌を出そうとしたのでしょうね。

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