《有り得なさ》

題しらす よみ人しらす

わたつうみのはまのまさこをかそへつつきみかちとせのありかすにせむ (344)

わたつ海の浜の真砂を数へつつ君が千年の有り数にせむ

「大海の浜の砂を数え数えして君が生きてゆく千年の一粒として数えよう。」

「(数へ)つつ」は、接続助詞で反復継続を表す。「せむ」の「せ」は、サ変動詞「す」の未然形。「む」は、意志の助動詞「む」の終止形。
限りなく広い大海原。それに伴う広い砂浜。そこにはどれほどの砂があるだろうか。その数え切れない砂を数えよう。一粒一粒をあなたがこれから生きてゆく一年として。
前の歌と同様に歌を贈る人の長寿を願う気持ちを詠んでいる。そのため、長い年月を表すのに有り得ないたとえを用いている。そのたとえによって自分の思いの強さを表現する。だから、そのたとえは有り得ないほどいいことになる。小さな石が大岩になって苔が生えることも有り得ない。けれど、浜の砂の数を数えるのも有り得なさでは引けを取っていない。前の歌が時間軸に沿った想像であるに対して、この歌は空間的で現実味を帯びている。実行にしようとすればできるからだ。優雅さの点では前の歌に叶わないけれど、具体性の点では勝っている。

コメント

  1. まりりん より:

    なるほど、あり得ないことを喩えにして思いの強さを表現するわけですね。作者がこの歌を送った「君」とは誰なのでしょう? 子どもでしょうか。生まれて間もない我が子への溢れる愛情を、このように表現したようにも思えます。

    • 山川 信一 より:

      こういった賀の歌の対象は、老人が一般です。なぜなら、長寿の祝いに歌われるからです。生まれて間もない子どもへは、長寿よりもまずは健康に育って欲しいと願うのが一般的でしょう。

      • まりりん より:

        確かにそうですね。この時代は、というより少し前まで、長生きは大変お目出たいことで、我が家も祖父母の長寿のお祝いをしたものです。平安時代の平均寿命がいかほどだったか…現代のように人生100年ともなると、それに伴う困難が重くのしかかり、長寿が目出度いという価値観も変わってきますね。この歌が詠まれた千数百年後に、人間がこんなに長く生きているなんて、当時は想像もしなかったでしょうね。

        すみません、話が逸れてしまいました…

        • 山川 信一 より:

          いいえ、感想なのですから、話題は何でも構いません。大いに逸れてください。平安時代には四十の賀までありましたから、寿命は短かったのでしょう。だから、長寿を祝う気持ちも殊更強かったのでしょうね。祝うべきものがあるというのも幸せなことです。

  2. すいわ より:

    確かに数えきれないものとして浜の砂粒を持ってくるのはイメージしやすいです。困難な事をわざわざやる行為、手間暇をその人への思いの深さととらえればよいのでしょうか。
    ただ、対象が「砂」だと掬っても掬っても手から零れ落ちるイメージ、「わかきみは」の歌の方が築き上げられ大きくなって行く印象があります。
    いずれにしてもあり得ない事を例示する事で、お祝いする対象のその人が特別であると言いたいのですね。

    • 山川 信一 より:

      確かに、砂は掬っても掬っても手から零れ落ちるというマイナスのイメージがあります。その点、「細石の巌となりて」の成長のイメージには及びませんね。

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