《栄転》

さたときのみこの家にて、ふちはらのきよふかあふみのすけにまかりける時に、むまのはなむけしける夜よめる きのとしさた

けふわかれあすはあふみとおもへともよやふけぬらむそてのつゆけき (369)

今日別れ明日はあふみと思へども夜や更けぬらむ袖の露けき

「貞時の親王の家で、藤原清生が近江の国司の次官に下った時に、送別の宴をした夜詠んだ 紀利貞
今日別れ明日は逢ふ身(近江」と思うけれど夜が更けているのだろうか。袖が湿っぽいことだなあ。」

「あふみ」は、「逢ふ身」と「近江」の掛詞。「(夜)や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「更けぬらむ」の「ぬ」は、完了の助動詞「ぬ」の終止形。「らむ」は現在推量の助動詞「らむ」の連体形。ここで切れる。「露けき」は形容詞「露けし」の連体形。余韻を持たせている。
貞時の親王の家で藤原清生の近江国司次官への赴任の送別会が行われた。
今日お別れしても明日にはお逢いできる近江への赴任ですからおめでたいことでございます。夜が更けて来ているため夜露が落ちたのでしょうか、袖が妙に湿っぽく感じられます。それともこれは、近場とは言え別れには変わりがないので、気づかぬうちに別れを惜しむ私の涙で濡れてしまったからでしょうか。
近江への赴任は栄転である。今の滋賀県であるから、一日で行き着ける。送別の宴と言っても、これはおめでたい席である。しかも、それが貞時の親王の家で行われている。さすが、藤原氏である。離別の歌を詠むのが紀氏であるのは、両者の権力の差を表している。袖が濡れているのは、やはり別れが悲しいからだろうかと言うのは、皮肉に聞こえなくもない。紀利貞の悔し涙にも思える。

コメント

  1. まりりん より:

    建前上は、栄転して赴任する者への離別を惜しむ歌ですね。でも、なるほど、詠んだ側には複雑な思いがありそうですね。湿った袖は、別れを惜しむ涙か、悔し涙か。あるいは、栄転を喜ぶ嬉し涙か。別れに安堵する嬉し涙だったら、何だか寂しいですが。。

    • 山川 信一 より:

      前の歌が切実な別れの歌でしたから、落差がありますね。敢えて対照的な歌を配したのでしょう。別れもいろいろですね。

  2. すいわ より:

    これはまた複雑な胸の内、なのですね。数ある送別会の中でも「親王の家で」、地方勤務とはいえ、近場の、戻って来れば更に上位の地位を約束された「宴」。歌詠みの上手い紀家の者も呼んで讃えさせよう、という趣向に応えなくてはならない。利貞は体面と自身のプライドのスレスレのところを上手く詠んでやり過ごした様子ですね。

    • 山川 信一 より:

      前の歌との落差に編者の意図がありそうですね。利貞の思いもさることながら、編者の思いも伝わってきます。

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