《父に贈る娘の歌》

よしみねのつねなりかよそちの賀にむすめにかはりてよみ侍りける そせい法し

よろつよをまつにそきみをいはひつるちとせのかけにすまむとおもへは (356)

万世をまつにぞ君を祝ひつる千年の蔭に住まむと思へば

良峯経也の四十路の賀に娘に代わって詠みました  素性法師
万年の齢を松に掛けて君を祝ったことだ。千年の変わらぬ松の蔭に住もうと思うので。」

「ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(祝ひ)つる」は、意志的完了の助動詞「つ」の連体形。ここで切れ、以下は倒置になっている。「(住ま)む」は意志の助動詞「む」の終止形。「(思へ)ば」は、接続助詞で原因理由を表す。
お父様の万年の齢を待つにつけまず、万年常緑の松にことよせて祈ったことでございます。私は、千年の間変わらない松の蔭に住むように、お父様からの千年の間変わらない恵みを被りたいと存じますので。
ここから素性法師の賀の歌がいくつか続く。素性法師は賀の歌が得意だったのだろう。それは、人を思いやる優しい心の持ち主だったからだろうか。「松」を出してきたのは、賀の宴席に置かれた屏風絵にちなんだのか、庭に生えていた松を踏まえたものか。最初に父の齢を「万年」と言い、その恵みを被る自分の齢を「千年」と言っている。自分が長生きすることも親孝行だと考えているのだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    当時八十歳まで生きた人がどの位いたのか、、父親の八十路の祝いは娘にとってはさぞかし嬉しかったでしょうね。でも、すでに娘もおばあさん? 長生き父娘のようです。ここまできたら、とことん生き抜こう、、という心境でしょうか。「八」「万」「千」「松」と、縁起の良い祝賀の歌ですね。

    • 山川 信一 より:

      ごめんなさい。ミスをしました。「よそじ」ですから、四十です。ひどい勘違いをしてしまいました。解釈を訂正しました。娘はせいぜい二十です。

  2. すいわ より:

    これまで、お父様のお陰をもって安泰に過ごして参りました。そしてこれからも変わらずあなたの娘として可愛がって頂きたい。お父様の世があの松のように、いつまでも変わることなく続くよう、お祝い申し上げます
    素性法師はお祝いの歌、本当に上手いと思います。娘さんの気持ちを良くとらえて代弁していますよね。父と娘の時間を万と千で差をつけているところの心配りが素性法師の人柄を表しているように思えます。

    • 山川 信一 より:

      娘からこんな歌を贈られたら父親はさぞ嬉しいことでしょう。素性法師は、どちらの気持ちも察することができたのですね。そして、それを「万」と「千」で表しました。さすがです。

  3. すいわ より:

    万と千、万は満ちるイメージ(四十歳)、千は八千代と言われるように積み重なり広がるイメージ、この娘さんがお子(お祝いされる人の孫)をもうけられたのかもと思いました。

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