《川藻》

寛平御時きさいの宮の歌合のうた 紀とものり

かはのせになひくたまものみかくれてひとにしられぬこひもするかな (565)

河の瀬に靡く玉藻のみ隠れて人に知られぬ恋もするかな

「寛平御時の后の宮の歌合の歌 紀友則
川の瀬に靡く藻が水に隠れるように身が隠れて人に知られない恋をすることだなあ。」

「河の瀬に靡く玉藻の」は、「み隠れて」を導く序詞。「み隠れて」は、「水隠れて」と「身隠れて」の掛詞。「(知られ)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「かな」は、詠嘆の終助詞。
河の早瀬には流れに靡く藻があります。その藻は、水の中に隠れていて、よく見ないとわかりません。その姿は、まるで今の私そのものです。世の流れに身を任しつつも、この身を隠し、人に知られずあなたへの恋をし続けています。私はあなたによってこんな恋までもしているのです。
恋とは、人に知られずにするものである。その有り樣を川藻にたとえて可視化している。川藻は、水の流れに身を任せつつ、その姿を表には表さない。それが恋をする自分に似ていると言うのである。今の自分をなんとかわかってもらおうという思いが伝わってくる。
この歌は、「忍ぶ恋」「恋もするかな」のバリエーションである。こんな風にも歌えるという手本を示している。編集者は、「川藻」のたとえを発見した点を評価したのだろう。あるべき歌の型を示すという『古今和歌集』の基本方針に添った歌である。

コメント

  1. まりりん より:

    水の流れに任せてゆらゆらと靡く川藻。表に現れることなく水の下で彷徨っているよう。
    なるほど、恋をしている有り様のようですね。絶望の果てに、川底に沈んでしまわないことを祈ります。

    • 山川 信一 より:

      この歌から「絶望」の可能性を感じますか?確かに、中には、恋に死ぬ人もいます。でも、この作者は、どんなに悲しんでも決して絶望などしないように思えますが・・・。

  2. すいわ より:

    平凡な風景、でも誰もが見知っているからこそ共感しやすい。流れに沿って川藻は揺れて見えづらいけれど確かにそこにある。恋だって表には出さなくても心は常に揺れている。この歌をあなたに渡すということは私の心を覗き込んで欲しいから。気付いて欲しいから。控えめだけれど誰にも伝わりやすい表現。こんな表現を目指したいです。

    • 山川 信一 より:

      「控えめだけど誰にも伝わりやすい」私も同感です。さすが友則ですね。でも、「誰にも」とまではいかなそうです。完璧な表現はあり得ません。

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