《秋の賀の歌 その三 定国の不変》


内侍のかみの右大将ふちはらの朝臣の四十賀しける時に、四季のゑかけるうしろの屏風にかきたりけるうた  そせい法し

あきくれといろもかはらぬときはやまよそのもみちをかせそかしける (362)

秋来れど色も変はらぬ常磐山余所の紅葉を風ぞ貸しける

「内侍の長である藤原満子が兄である藤原朝臣定国の四十賀をした時に、四季の絵が描いてある定国の後ろに置いてある屏風に書いた歌  素性法師
秋が来ても色も変わらない常磐山は、余所の山の紅葉を風が貸したのだなあ。」

「(来れ)ど」は、逆接の接続助詞。「(変はら)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「(風)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(貸し)ける」は、詠嘆の助動詞「けり」の連用形。
秋が来て他の山がみんな紅葉しても、この常磐山だけは常緑の緑を保っています。それでも稀に紅葉を見掛けます。しかし、その紅葉は余所の山の紅葉を風が運んで来たのものなのでした。この常磐山のように定国様は他が変化しても、少しも変わらす長生きされることでしょう。
この屏風は色の変わらない松を描いているのだろう。その点に注目して、この歌では祝う観点をまた変えている。常緑の松を永遠の命の象徴としているのだ。

コメント

  1. まりりん より:

    屏風絵の常緑の松。賀の席にふさわしいですね。変化する紅葉は他所からの借り物と言っている。定国様の揺るぎのない芯の強さを感じます。そして、それが長寿を連想させると。
    素性法師は、次から次へ、、本当にお祝いの歌が得意なのですね。

    • 山川 信一 より:

      この歌の眼目は、常緑を本体として、紅葉を借り物としたところです。常緑だけに焦点を当てる歌はありがちですが、紅葉を借り物という発想は独創的ですね。

  2. すいわ より:

    秋の賀の歌その一で「すみのえのまつ」松の木自体にスポットを当てていましたが、この歌では常磐山。不動の不変のものとして存在感の大きさを強調しているように思います。一本の若木でなく、揺るぎない山へとここまで定国自身が長生して来たのだ、と。
    紅葉を風が運んでくる、定国が動かずとも周りの人もモノも集まってくる、そんなイメージもわいて来ます。当時は「初老」の扱いでも、実質的に政の中枢で指揮を執る準備は万端、といった長生きを寿ぐ裏側が匂わなくもない気がします。

    • 山川 信一 より:

      「一本の若木でなく、揺るぎない山へ」という捉え方はとても説得力があります。紅葉が美しさの象徴ではなく、借り物としたところに独自性が感じられます。権力の中枢にあり不動不変の定国の前では、集まってくる人も物も借り物に過ぎないのでしょう。

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