《同じ心に》

題しらす 読人しらす

よそにしてこふれはくるしいれひものおなしこころにいさむすひてむ (541)

余所にして恋ふるは苦し入れ紐の同じ心にいざ結びてむ

「遠く離れたところで恋しく思うのは苦しい。入れ紐のように同じ心でさあ結んでしまおう。」

「苦し」で切れる。「入れ紐の」は、「結び」に掛かる枕詞。「(結び)てむ」の「て」は、意志的完了の助動詞「つ」の未然形。「む」は、意志の助動詞「む」の終止形。
恋は、『万葉集』に「孤悲」とも書かれています。離れた所で一人悲しく思うことを表しています。ですが、それはとても苦しいものなのです。だから、雄紐を雌紐に差し入れて掛ける入り紐のように、離れていても心だけは同じにしっかり結んでしまいましょう。心が同じに結ばれていさえすれば、その苦しさに耐えることができます。どうか、私と同じ心でいると言ってください。
心という形の無いものを伝えるために「入り紐」という形を与えている。「結ぶ」の枕詞であった「入り紐」をここでは実質的な意味を持ったたとえとして使っている。しかも、「入り紐」は、貴族にとって身近でわかりやすいたとえであった。恋は、離れていることが条件である。だからそれ自体を解消するわけにはいかない。しかし、その苦しさに耐える術はほしい。それが同じ心でいることだった。作者はそこに目を付けたのである。
前の歌とは、心理繋がりである。編集者は、「入り紐」という題材と恋の矛盾の解消の方法とに新しさを感じ、これを評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「いざ結びてむ」、今、遠くにいるのでなく、地方勤務に着く夫が旅立つ前に妻にこんな風に詠んだのかしらと想像しました。暫く留守にするけれど、私たちの心はほら、今、しっかりと結びましたよ。寂しくなったらこの入れ紐に触れてあなたを思うよ。いつだってこの紐のように一緒だから待っていておくれ、、見えない心を可視化する事で実感に繋げる。触れる事で存在を確かめる。たとえ、目の前にその人が居なくても。

    • 山川 信一 より:

      そう思って読めば、妻が夫の狩衣の入れ紐を結んでいる様が見えてきます。『古今和歌集』の「詠み人知らず」の歌は、様々なシーンに合うようにできていますね。作者が男でも女でもいいようにも。そこには、いろいとと想像して読む楽しさがありますね。

  2. まりりん より:

    離れていても、心が同じに結ばれていると信じて、それにすがって苦しみに耐えたのですね。「入り紐」とは、素敵な例えです。
    恋とは苦しさに耐えること。まるで長距離走みたいです。そこにゴールはあるのでしょうか。いつ成就するかわからない恋は、途中で息切れして挫折しそうです。

    • 山川 信一 より:

      逢えない時間が恋心を育てるのです。恋とはそういうもの。いかに苦しくても恋を恋で無くす訳にはいきません。その苦しさに耐えることが恋。嫌なら恋などしない方がいい。そういうことになるのでしょう。

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