《逢える前兆》

題しらす 読人しらす

おもふともこふともあはむものなれやゆふてもたゆくとくるしたひも (507)

思ふとも恋ふとも逢はむものなれや結ふ手も弛く解くる下紐

「思っても恋うても逢えるものか、結ぶ手もだるく解ける下紐。」

「思ふとも恋ふとも」の「とも」は接続助詞で、既成の事実を「たとえ・・・そうであっても」と強調する。「(逢は)む」は、未確定の助動詞「む」の連体形。「(なれ)や」は、終助詞で動詞の已然形について反語を表す。
あなたのことをどんなに思っても、恋い慕っても、逢えるものでしょうか、逢えることなどないでしょう。それなのに、下紐が結んでも結んでも解けてしまいます。それは、結び直すのに手がだるくなるほどです。こんなに繰り返しあなたに逢えるという前兆があるのに、逢えないのではつじつまが合いません。
上の句で逢えない事実への思いを述べ、下の句で逢える前兆としての事実を述べる。そして、両者の矛盾を指摘して、嘆いてみせる。下帯がほどけるという刺激的な事実を取り上げ、前兆に従うべきだと口説いているのである。こうして心理と事実を分けて述べるのは、作歌の型の一つである。編集者は、その型に於ける、心理と具体的な逢える前兆との取り合わせの意外性を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「フェイク」の事実、なのだろうなぁと思いました。逢いたい思い故にわざと緩く結んで、解けてはまた結ぶ事を繰り返して。それは結び続けて手に力の入らなくなるほど。それほどまでの思い。なのに逢えない。恋のおみくじを理想のものが出るまで引くようなもの。わかっている。そして冒頭、「恋心なんてどんなに募ったところで逢えないものは逢えない」。私のせいではない、下紐のせい。と思わないとやりきれない。

    • 山川 信一 より:

      「下帯のせい」と言うよりは、下帯の前兆を信じていいのか、私の「どうせ逢えない」という予感を信じていいのか、どちらにしましょうかと相手に問い掛けている感じです。恋のために「フェイク」も「盛り」もありなのです。

  2. すいわ より:

    なるほど、相手に問いかける。敢えての焦れっぷりを見せて気を引くのですね。納得できました。

    • 山川 信一 より:

      手を替え品を替えといったところですね。本当に様々な表現があります。

  3. まりりん より:

    わっ、露骨な表現。ドキッとしますね。恋しい気持ちの強さはわかりましたが、少々下品な気もして女性としては引いてしまうかも。。

    • 山川 信一 より:

      時と場合、そして、相手によって、表現は変わります。この表現がふさわしいケースもありえます。それを見極めなくてはなりませんね。

  4. まりりん より:

    既に何度か逢瀬を重ねて、親しい間柄な気がします。

    • 山川 信一 より:

      そんなケースも想定できますね。ウブな少女にこの言い方はあり得ませんから。

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