《正直な思い》

仁和の御時僧正遍昭に七十賀たまひける時の御歌 光孝院 仁和帝

かくしつつとにもかくにもなからへてきみかやちよにあふよしもかな (347)

かくしつつとにもかくにも長らへて君が八千代に逢ふよしもがな

「仁和の御代に僧正遍昭に七十の賀をお与えになった時の御製  光孝院仁和帝
このようにしながらともかくも長らえて、そなたの八千歳の齢に逢うすべがあったらなあ。」

「(かくし)つつ」は、接続助詞で継続反復を表す。「もがな」は、終助詞で願望を表す。
七十歳を迎えるとは何ともめでたいことよ。幸いなことに、今は私もこうして生きている。このまま何とかできる限りのことをして生き長らえて、そなたとこれからもずっと長寿を喜び合いたいものだなあ。
僧正遍昭は、816年に生まれ、890年に亡くなっているから、七十の賀は、886年になる。光孝天皇は、830年に生まれ、887年に亡くなっている。つまり、この賀の一年後に亡くなく。恐らく、天皇はこの時既に健康に不安を抱えていたのだろう。一方、僧正遍昭は七十という長寿を授かっている。それに、人は節制すれば、こうして長生きできるのだと希望を見出したのだろう。僧正遍昭の長寿を祝いつつ、自分もそれにあやかりたいという正直な思いを詠んだ。「かくしつつとにもかくにも長らへて」にその心情が素直に表されている。

コメント

  1. すいわ より:

    「年が離れてはいるもののお互いに老年、ならば私もあなたの歳になるまで、これまでのように共に長らえて行けたならなぁ」真っ直ぐな気持ちですね。当時は寿命もそこまで長くはなかったでしょうから、70歳までの14年は途方もない長さと考えたことでしょう。長年の付き合いがあってお互いをよく知る僧正遍昭の70歳の姿は、光孝院にとって自分の老年の未来に希望を持てる出来事だったのでしょう。

    • 山川 信一 より:

      僧正遍昭は、天皇が素直にお気持ちを伝えることができる相手だったのでしょう。二人の親密な関係が伺える歌ですね。僧正遍昭も共に長生きしたいと思ったことでしょう。

  2. まりりん より:

    70歳というのは、この時代ではかなり長生きなのでしょうね。天皇がこの時すでに健康に不安を抱えていたのだとしたら、長寿の僧正遍昭がとても羨ましかったことでしょう。何とか頑張って生き延びて僧正遍昭の80歳も一緒に祝いたいけれど、天皇はそれは叶わぬことと分かっていたのではないかと思います。叶わないことを強く願う、、切ない思いが伝わってきます。

    • 山川 信一 より:

      叶わぬことと諦めていたのでしょうか?「かくしつつとにもかくにも長らへて」に天皇の意欲を感じるのですが、どうでしょう?天皇にとって僧正遍昭は生きる目標見ないな存在だったのではないでしょうか。

  3. まりりん より:

    諦め は後ろ向きですが、かくしつつー  には前向きな意欲が、確かに感じられますね。
    そんなに簡単には諦めないですね。

    • 山川 信一 より:

      この歌には、何とかして長らえよという意欲が感じられますね。前向きな歌です。何と言っても、賀の歌なのですから。

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