《究極の物名》

はをはしめ、るをはてにて、なかめをかけて時のうたよめと人のいひけれはよみける 僧正聖宝

はなのなかめにあくやとてわけゆけはこころそともにちりぬへらなる (468)

「は」を始め、「る」を果てにて、「なかめ」を掛けて時の歌を詠めと人の言ひければ詠みける 僧正聖宝
花の中目に飽くやとて分け行けば心ぞ共に散りぬべらなる

「『は』を始め、『る』を終わりにして、『なかめ』を掛けて時の歌を詠めと人が言ったので詠んだ 僧正聖宝
花の中眺めに堪能するかと分け行くと、心が花と共に散ってしまったようだ。」

「ながめに」は、「眺めに」と「中目に」が掛かっている。「(飽く)や」は、係助詞で疑問を表し、「とて」が受け、結びは流れた。「(分け行け)ば」は、接続助詞で偶然的条件を表す。「(心)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(散り)ぬべらなる」の「ぬ」は、完了の助動詞「ぬ」の終止形。「べらなる」は、状態の推量を表す助動詞の連体形。
歌会の席で物名の技を競う試みがあった。「は」で始まり「る」で終わり、「ながめ」を詠み込んで、春の歌を詠めという課題が出された。それならと思って詠んだ。
桜の花を眺めていたが、外から眺めていたのでは、飽き足らなくなった。そこで、目に堪能させようと花の中に分け入ったところ、堪能するどころか心が花と一緒に散るかのようだった。つまり、あちらこちらの花に惹かれてかえって落ち着かなくなってしまったのだ。
物名の巻の最後を飾る歌である。縛りが三重になって厳しくなっている。(「は」で始まり「る」で終わる。「なかめ」を詠み込む。季節の歌を詠む。)最後にふさわしい究極の物名である。物名とは、和歌の技術を高める方法であり、それを競い合う遊戯でもあったのだろう。作者は見事に課題に答えている。しかも、心が花と一緒に散るという捉え方・表現に詩的発見もある。してやったりというところだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    難易度の高い物名です。このような技術をかつては競っていたのですね。
    んー、なかなか直ぐには思いつきません。。

    物名はこれで終わりなのですね。楽しかったのでちょっと寂しいです。

    • 山川 信一 より:

      そうですね。楽しかったですね。これからは、真似して楽しみましょう。
      『古今和歌集』は、二部構成で、前半のメインは四季の歌。後半は、いよいよ恋の歌が始まります。後半にも、仮名遊びの歌があるので、お楽しみに。

  2. すいわ より:

    「は」「る」「なかめ」そして季節を詠み込む。ただ言葉を並べれば良いというわけではないく、言葉を巧みに編んで行く。贅沢な遊びですね。季節の雰囲気を歌っていますが、花びらの一片一片はまるで言葉、ただ聞いているのでなく、この言葉の吹雪に身を任せて、さぁ貴方もと誘われているようでもあります。

    • 山川 信一 より:

      言葉遊びと言うよりも、仮名遊びでしょうか。歌のこんな楽しみ方もあるのですよと誘われているようですね。では、お誘いに乗ってみましょうか?

  3. すいわ より:

    遥かなる時越え届く言の葉よ花舞う眺め我もおぼれる

    • 山川 信一 より:

      直ぐに実行されるとはさすがです。単なる言葉遊びだけじゃなくて、すいわさんの和歌への思いが込められていますね。
      では、私も。「な」で始まり「つ」で終わり、「ながめ」を掛けて、時の歌を詠みます。
      *渚行く朝の散歩の浜辺には長雨の空けて学生の満つ   沼津での林間学校の朝をイメージしました。

  4. まりりん より:

    花巻の地元の誇り石像の賢治をじっと翔平眺める   

    一応、過去と現在の英雄つながりで。
    反則かな…?

    こんな時間が、過去に実際にあったかも知れません。

    • 山川 信一 より:

      まりりんさんは、アイデアが豊富ですね。こんなシーンがあったようにも思えてきます。

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