《憎き風》

百和香 よみ人しらす

はなことにあかすちらししかせなれはいくそはくわかうしとかはおもふ (464)

花ごとに飽かず散らしし風なれば幾十許我が憂しとかは思ふ

「花ごとに満足できず散らした風なので、どれほど私が嫌だと思うか。」

「(飽か)ず」は、打消の助動詞「ず」の連用形。「(散らし)し」は、過去の助動詞「き」の連体形。「(風なれ)ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「幾十許」は、副詞。「憂しとかは」の「憂し」は、形容詞。「と」は、格助詞で引用を表す。「かは」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして文末を連体形にする。「思ふ」は、四段活用の動詞「思ふ」の連体形。
どの花もどの花も心から満足するほど眺めないうちに散らした風なので、どんなに嫌だつらいと私が思っていることか。せめて、百和香のような香りでも残してくれたらいいのに。
「いくそはくわか」に「はくわか」(百和香)が詠み込まれている。当時は、「ひゃ」という拗音の表記がなかったので、「は」と表記した。また、仮名表記のシステムは、現代の平仮名表記のシステムと異なり清濁の書き分けが無いので、「いくそはくわか」によって、「いくそばくわが」(幾十許我が)が表せた。仮名表記のシステムを生かした巧みな物名である。
しかし、その反面、内容は平凡である。「だから何?」と言いたくなる。ただし、次のような工夫はある。題の「百和香」は、薫き物、香の一種である。読者の思いを花の香りに向け、風が花を散らすばかりか、香りも吹き飛ばしたことを暗示する。題を生かすことで、多少歌に奥行きを持たせている。

コメント

  1. まりりん より:

    風が、花びらだけでなく香りも散らす。確かに、物名は背景に生きていますね。
    幾十許という言葉は初めて知りました。難しいです。
    昔の仮名表記システムは、なかなか慣れずに読むのに時間がかかってしまいます。

    古典とは難解なりと弱音はく解らぬことぞ学ぶ価値ある

    • 山川 信一 より:

      「古典とは難解なりと弱音はく解らぬことぞ学ぶ価値ある」その通りですね。でも、『古今和歌集』は、当時の人々の感性だけに頼っていないので、知的なので手掛かりがあります。
      *定年後朝庭を掃く我が日課古典講読済ませた後に

  2. すいわ より:

    心ゆくまで春を、花の季節を堪能したいのに、ことごとく風は花を散らしてしまう。あぁ、なんと勿体ない、その花々を集めて調香したら、あの薫物も作れように。色も香も奪われてしまってなんとも口惜しい。
    歌では花の香りには触れず、物名として香りを忍ばせる演出が面白いです。

    • 山川 信一 より:

      物名は、和歌の実験室みたいですね。『古今和歌集』には、四季や恋の歌といった伝統的な歌に留まらず、こうした歌が入っています。歌の可能性を極めようと意欲が感じられます。既成概念の枠に留まらず、様々な表現に挑戦しています。この姿勢は見習いたいですね。

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