《満たされない心》

かたの たたみね

なつくさのうへはしけれるぬまみつのゆくかたのなきわかこころかな (462)

夏草の上は繁れる沼水の行く方の無き我が心かな

「夏草が上は繁っている沼の水のように、行く方の無い私の心だなあ。」

「夏草の上は繁れる沼水の」は、「行く方の無き」に掛かる序詞。「(繁れ)る」の「る」は、存続の助動詞「り」の連体形。「(心)かな」は、詠嘆の終助詞。
交野では、沼の上に夏草が生い繁っている。その沼の水はどこにも流れていかない。それを見ていると私の心のように思えてくる。私の心も、人知れぬ欲望が解消されることなく、見ない沼のように澱んでいることだなあ。
「かたの」を見事に詠み込んでいる。「かたの」は、現在の大阪府交野町。この歌の背景になっている。作者は、夏の交野の実景に自らの満たされない内面を見たのである。形のない心を自然物によって表すのは一般的な技法ではある。しかし、この歌では、たとえの斬新さが際立っている。

コメント

  1. まりりん より:

    流れの無い沼の水。水は流れが無いと澱んでいく、その事に作者は自らの心を重ねている。未来に希望を見出せず、何かに固執して生きている。澱んだ沼の水底に沈んだまま、行くあてもなく浮かび上がれない。そんな作者の戸惑いと苦しみを感じます、

    • 山川 信一 より:

      人の心には様々な思いがあります。しかし、それは容易に言葉にできません。そんな時に用いるのがたとえです。夏草に覆われた流れのない沼は、何という斬新なたとえでしょう。『古今和歌集』は、紋切り型の歌集ではありませんね。作者独自の思いが伝わってきます。

  2. すいわ より:

    沼。水の流れがなく停滞し濁ったイメージ。浮草でなく「夏草」と敢えて詠んで水面に動きを感じさせず、あたかもそこが繁茂した草原で、しかも風すら渡らずそよぎもしない鬱陶しさを思わせる。この地へ訪れる事が不本意であったものか。先行きの見えなさ、身動きの取れない雰囲気が伝わって来ます。

    • 山川 信一 より:

      交野の風景と作者の心とが溶け合って感じられます。夏草に覆われた沼にたとえられた心。平安人の心も現代人の心も変わることが無いように思えてきます。さすが忠岑です。

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