《麓の晩春》

しのふくさ きのとしさた(紀利貞)

やまたかみつねにあらしのふくさとはにほひもあへすはなそちりける (446)

山高み常に嵐の吹く里は匂ひも敢へず花ぞ散りける

「山が高いので、常に嵐が吹く里は、咲き匂いきれないで花が散ったなあ。」

「高み」の「高」は、形容詞「高し」の語幹。「み」は、接尾辞で「・・・ので」「・・・という状態で」の意を表す。「(花)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「ける」は、詠嘆の助動詞「けり」の連体形。
この里は山が高くこの時期には山風が吹き下ろしている。そのため、咲き匂う状態を堪え忍べず、風に吹き飛ばされて、花が散ってしまった有様だなあ。
高い山の麓にある里の春を詠む。この植物は、まず意味として用いられている。つぎに花が散った後に残るものとして暗示されている。

コメント

  1. すいわ より:

    「しのふくさ」忍ぶ草でしょうか。忍ぶ草というと釣り忍を思い浮かべますが、元々花の咲かない植物ですよね。花の無い事を敢えて厳しさに晒されたせいで耐え忍ぶ事が出来ず、花つけることなく(秋となっては)寒々しい姿としてあわれを感じているのでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      正解です。釣り忍は、優雅で涼しげですね。平安時代には既に有ったのでしょうか?いずれにしても、忍ぶ草は夏をイメージしますね。と言うことは、季節が春から夏に変わってしまったことを言うのでしょう。まだ秋までに思いは及んでいないでしょう。この歌は、一種の惜春の思いを表していると思われます。

  2. まりりん より:

    「しのふくさ(忍ぶ草)」ですね。
    花を堪能しきらないうちに風で散ってしまったことを惜しむ気持ちが伝わってきます。
    忍ぶ草は、花は咲かず葉っぱだけですよね。花が散った後に残るものとは、葉っぱという事でしょうか。

    日本橋の福砂屋に行きお目当てのカステラ買ひて頬張る幸せ

    私、福砂屋のカステラが大好きなんです!

    • 山川 信一 より:

      正解です。忍ぶ草は花が咲かないから花が無い味気なさを強く訴えているようです。
      福砂屋は、長崎が本店で全国展開していますね。東京にも支店が幾つかあります。まりりんさんは、日本橋の高島屋で買うのですね。
      歌を読み、買いに行きたくなりました。上手く詠み込みましたね。
      う~ん、直ぐにはできない!
      *亀戸の船橋屋にて甘味食ふ不意に癒やしの副作用あり
      こんな副作用ならいいかも?

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