《松山で聞く郭公》

山に郭公のなきけるをききてよめる  つらゆき

ほとときすひとまつやまになくなれはわれうちつけにこひまさりけり (162)

郭公人まつ山に鳴くなれば我うちつけに恋まさりけり

「山に郭公が鳴いたのを聞いて詠んだ 貫之
郭公が人を待つと思わせる松山で鳴いているので、私は急に人恋しい気持ちが強くなったことだなあ。」

「まつ山」は、「待つ」と「松」との掛詞になっている。「なれ」は聴覚推定の助動詞の已然形。聞こえてくる声を郭公の声だと推定している。「鳴くなれば」は、以下の原因理由を表している。「うちつけに」は副詞。「声を聞くやいなや」の意。「けり」は詠嘆の助動詞の終止形。恋しさがまさっていることに気づき、感動したのである。
郭公が鳴いているのが聞こえてくる。しかし、姿は見えない。すると、急にいっそう人恋しい気持ちが強くなる。自分が人恋しかったことに改めて気づき、驚く。そう言えば、ここは「松山」である。その名から「人を待つ」ことを連想したのだった。ならば、郭公も自分のように誰かを待っているのかも知れない。そんな気もしてくる。郭公への親しみが湧いてくる。
作者は、「松山」という名前に自分が強く反応したことを掛詞によって示している。郭公はどこで鳴くかによって聞こえ方が違ってくると言いたいのだ。「松山」で聞く郭公は人恋しさを増幅する。それが言葉の力によることを表している。また、「我」によって、自分を客観視していることを示している。歌は、元々「我」の思いを表す。したがって、殊更「我」と断る必要は無い。それをわざわざ「我」と言うのは、自分を外側から眺めていることを表しているからである。

コメント

  1. すいわ より:

    貫之にとって「土佐」は特別に思い入れの深い場所なのですね。
    郭公が山で鳴いている。呼子鳥、誰を呼んで待っているのか。待つ、、山、、松山!あぁ、土佐の人たちは私を忘れずに待っていてくれるのだろうか。お前の鳴くのを聞くと懐かしい彼の地を思い出し、堪らなく人恋しさが募ってくるのだよ。
    松山を思っての歌だと思ってしまいました。こだまする郭公の声は寄せては返す波のように、風に揺れる木立の音は波の砕ける音に聞こえたのかも、と。

    • 山川 信一 より:

      貫之と言えば『土佐日記』。こんな風に読みたくもなりますね。しかし、この解釈には無理があります。貫之が『古今和歌集』を編集したのは、30代の終わりから40歳にかけてです。それに対して、土佐の守に任じられたのは、60代の半ばです。『土佐日記』を書いたのは70歳の頃でした。この頃の貫之は、晩年になって自分が土佐の守に任じられるなどとは思ってもみなかったことでしょう。
      そもそも、「松山」は愛媛であり、土佐ではありません。また、「松山」は固有名詞でしょうが、どこにでもありそうな名前です。恐らく京都にもあったのでしょう。それもあってか、和歌には、「松」と「待つ」の掛詞はよく出てきます。

      • すいわ より:

        土佐日記の松原が頭の中に広がってしまいました。そもそも土地も違うし、土佐日記に書かれている季節も違いますものね。
        松山、待つ山で郭公が鳴く。それを聞いて人恋しくなる。里にいたのに山へ帰ってしまった郭公の声、なのでしょうか。素直に受け止めればいいのに、貫之の作品だと思うと身構えてしまう自分に気付きました。

        • 山川 信一 より:

          松山は地名でもあり、実際に松が生えている山でもあるのでしょう。作者は、そこで人を待っています。そこで、山に戻っていた郭公の声を聞きます。すると、急に人恋しさがまさってきたのです。郭公の声は、こんな聞こえ方もします。

  2. らん より:

    なんだか切ない気持ちになる歌ですね。
    寂しい松山で1人待っているところに郭公の声が聞こえてきて嬉しくなりました。
    同時に、郭公も自分と同じく、誰かを待っているのかなあ。
    郭公に親近感湧きますね。
    お見事な歌です。

    • 山川 信一 より:

      作者は恋していたのでしょう。松山で恋しい人を待っています。そんな時に聞いたホトトギスの鳴き声は、自分のように人恋しくて鳴いているように聞こえたのでしょう。だから、急に恋しさが増してきたのです。作者の切なさが伝わって来て、こちらまで切ない気持ちになりますね。

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