《無常の思想》

たちはな  小野滋蔭

あしひきのやまたちはなれゆくくものやとりさためぬよにこそありけれ (430)

あしひきの山発ち離れ行く雲の宿り定めぬ世にこそありけれ

「山を発ち離れていく雲のように泊まる所を定めない人の世であることだが・・・。」

「あしひき」は、「山」に掛かる枕詞。「あしひきの山発ち離れ行く雲の」は、「宿り定めぬ」の序詞。「こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし以下に逆接で繋げる。「けれ」は、詠嘆の助動詞「けり」の已然形。
山裾が広がる山を出発し次第に離れていく雲。その雲のように、人の世というものは、
一つところに留まることなく、移ろっていくものであるなあ。けれども、そうわかっているのに、固執してしまうものだ。
この世は仮だという思想を歌にしている。序詞を用い、その思いを具体的にイメージ化することに成功している。思想としては、やや常識的ではあるけれど、歌の形は整っている。物名の題を無理矢理入れたという不自然さは全く感じられない。ただし、この歌も題と内容は関係が無い。さて、どこにどんな題が隠されているのだろうか。植物名である。

コメント

  1. すいわ より:

    橘(たちばな)ですね。
    流れゆく雲のように人の人生も留まるところなく移ろうものだけれど、、「こそ」の係り結びの逆接、雲はそれ自体が移動するのでなく、風によって流されていくことを思うと、自らの意思では抗えないものに翻弄され山が裾引くように後ろ髪引かれてしまう、といったところでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      正解です。これはわかりやすい方ですね。
      そうですね、逆接の後の思いは、読み手に任されています。雲との違いを意識しているのかも知れませんね。

  2. まりりん より:

    「たちはな(橘)」でしょうか。

    夏祭り広場に集う子ども達花火綿あめ楽しき夜かな

    • 山川 信一 より:

      正解です。
      歌もお上手です。もしかしたら、まりりんさんは、短歌を嗜んでいらっしゃいますか?なかなかこうは詠めません。

  3. すいわ より:

    夕立ちは鳴る霆を先触れに
    白花洗う水無月晦日
    無理やり感満載、苦しい、、

    • 山川 信一 より:

      この歌もいいですね。昨日の情景を取り入れていて素晴らしい。この「国語教室」の生徒のレベルの高さに感動しています。
      教師も、生徒に見捨てられないように頑張らないといけませんね。そこで私も一首。
      *袖の香にかの木の蔭の立ち話せし往にし日を思ひ出さるる

  4. すいわ より:

    まりりんさん、素敵です!夏祭りの楽しい光景が目の前に広がります。
    先生のお歌はまたしっとりとした趣きで、香りを頼りに思いを馳せた先、一枚のスナップ写真を見ているようです。

    • 山川 信一 より:

      まりりんさんは、短歌を作り慣れていますね。ご趣味なのでしょうか?
      私の短歌は、「五月待つ花橘の香を嗅げば昔の人の袖の香ぞする」を踏まえています。香りは記憶を呼び起こしますね。

  5. まりりん より:

    先生、すいわさん、ありがとうございます。お褒めいただいて光栄です。
    でも、私の短歌は我流で極めてテキトーなのです。慣れているなどとんでもない! きちんと勉強したいと思い始めて、数年経ってしまいました。いずれは、趣味にしたいと思っているのですが。。
    すいわさんこそ、作家さんとか、文章を書くお仕事をされていると思っています。有名な方だったりして。
    五月待つー の「昔の人」とは昔の恋人ですよね。一方で、先生のお歌の「立ち話せし往にし日」に学生時代がイメージされるのは、私の先入観でしょうか?

    • 山川 信一 より:

      そうでしたか。でも、関心はお有りだったのですね。「いずれは」と言わず、今から始めましょう。短歌は、生活と共にある文芸ですから。あまり構える必要はありません。
      すいわさんについては同感です。作家さんでなくても、匹敵する才能がお有りです。すいわさんのお陰でなんとかここまでやってこられました。教師を育てるのは生徒です。
      まりりんさんは、この歌に学生時代がイメージされましたか。では、少し変えます。
      *髪の香にかの教室に立ち話せし往にし日の乙女思ほゆ  二十代の私が高校生だったまりりんさんやすいわさんと立ち話をしているところを詠みました。

    • すいわ より:

      まりりんさんへ
      私学の先生ってどんな授業をなさるのだろう?素見し程度に覗いたのが『国語教室』だったのですが、、。
      当たり前のように地域の公立小中を卒業して、誰もが羨むような名の通った高校、ではなく、片田舎のひたすらのんびりとした公立女子高校で呑気に朗らかに暮らしました。高校までは本は確かに読んだけれど、自分からものを書くことはなく、夏休みの宿題を仕方なくこなすのが精一杯。国語は好きな方でしたが、授業にはさほど関心が無く、古典に至っては「文字が並んでいる」位にしか思っておりませんでした。
      『国語教室』、都会の立派な学校の先生の講義がどんなものなのかという好奇心で読み始めたのです。「古典かぁ、、」と思いつつ読み進めると、私にとってただの文字だったものが、動画のように生き生きと目の前に物語が展開していくのです。皆さんの先生は凄いですね。ほぼ毎日の更新、この熱量!なかなか出来るものではありませんよね。こんなにも丁寧な講義を読んだら、どんな風に読ませて頂いたか伝えたくなります。先生は些細な、申し訳ないような内容の質問であっても真っ直ぐに受け止めてお答え下さるのです。顔が見えていない分、どう書いたら上手く伝わるか、その一心でこの4年間、コメントに書く事を続けて参りました(過去のコメント見ると、もう恥ずかしいです)。
      「書く事を生業にしている」?とんでもない!大学も文学とは全く関わりのない学部に進みましたし、仕事も事務屋。短詩は特に苦手でまりりんさんのようにするすると歌を編める人を尊敬してしまいます。
      でも書き続けた事で、多少、書けるようになったのかもしれません。そう思うと、私は『国語教室』で『生徒』として時間をかけてちゃんと成長出来ているのかもと、頂いたお言葉、嬉しく、有り難く頂戴致します。そして、一緒に学べる方が出来て心の底から嬉しく思っております。「皆さんの」と書きましたが私も先生の「生徒」になれたでしょうか。育てて頂いた先生にはひたすら感謝、教室がいつまでも続くよう、沢山の方がこの教室を訪れてクラスメイトになって下さることを願うばかりです。

  6. まりりん より:

    すいわさん
    温かいメッセージを、ありがとうございます。
    そうなんです、私たちの先生は凄いのです! そして、先生の立派な生徒の一人のすいわさんも、相当に凄いですよ! すいわさんの知識と想像力と文章力と、気力とに、いつも感服しております。4年間毎日勉強を続ける(コメントを書き続ける)なんて、そうそう出来ないです。私は、そのようにコツコツと積み上げることが、学生時代はできませんでした。だから、古典などは本当に酷い成績をいただいていて、、嫌いな教科だったのです。それが、歳を重ねて何となく気まぐれに和歌などに目を通すようになって、、その美しい世界観に惹かれていきました。同窓会の会報誌で先生の国語教室のことを知って、恐る恐る参加してみたら楽しくて、、今に至ります。先生は、私の的はずれのコメントにもきちんと答えて下さって、建前だけのお世辞は決して仰らない。間違いは間違いと指摘して正しい方へ導いてくださって、やはり「先生」です。本当に有難いし、学生時代に学びきれなかった事を、今こうして国語教室で学び直せていること、幸せに思います。この後も、クラスメートが増えると良いですね。お教室が益々賑やかで、楽しくなりそうです。

    • 山川 信一 より:

      まりりんさん、すいわさん、ハードルの上げすぎです。でも、心はバラ色です。
      *嬉しそう?悲鳴を上げているんだよ!これで当分死ねなくなった

  7. すいわ より:

    まりりんさん、お返事、有難うございます!共に歩める学友のいる幸せ、これからもどうぞ宜しくお願い致します。
    先生、そう言えば定年を機に始められた教室でした。授業の更新頻度、内容の熱量に、その事を失念しておりました。有り難く、申し訳なく、、。でも、私、今や『国語教室』中毒です。ご無理の無い範囲でこれからも教室を続けて頂けたらと存じます。
    子(?)燕の口を開きて待ち構え
    親鳥つばさ休める間なし

    • 山川 信一 より:

      あの歌(*嬉しそう?悲鳴を上げているんだよ!これで当分死ねなくなった)は少し大袈裟でした。「そうひ」を詠み込もうとすると、どうしても不自然になります。
      「子(?)燕の口を開きて待ち構え親鳥つばさ休める間なし」返し*親燕子に餌を運ぶ義務ならず子の成長は生きる喜び
      「そうひ」では、こんな歌も作って見ました。*花壇には「甘き夜露」の名札あり隣に咲くは「箏彈く乙女」(薔薇って本当に多くの品種があり、個性的な名前が付いています。)
      *あの方はそう美人ではないのだわ悟られぬよう再度眺める(短歌は正解で一番短いドラマです。でも、これってどんなドラマでしょうね?無責任・・・。)

      • すいわ より:

        不出来なる我に寄り添う人のある
        その気高さは彼の花に似て(そうひ)
        感謝を込めて

        • 山川 信一 より:

          身に余るお言葉です。返し
          我がもし気高くあらばそのゆゑは寄り添ふ人の左右比無ければ(さうひ)

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