第百八十二段  鮭は鮭

 四条大納言隆親卿、乾鮭(からさけ)といふものを、供御に参らせられたりけるを、「かくあやしき物、参るやうあらじ」と、人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚、参らぬ事にてあらんにこそあれ、鮭のしらぼし、南条事かあらん、鮎のしらぼしは、参らぬかは」と申されけり。

四条大納言隆親卿:弘安二年(1279)没とあるので、兼好が生まれる前の人

「四条大納言隆親卿が乾鮭というものを天皇のお召し上がりものに献上なさったのを『こんな下品な物を献上する法はあるまい。』と、ある人が言いましたのを聞いて、大納言が、『鮭という魚は、献上しないことであるならそうだろうが、そうではない。鮭の白乾しは、何の差し支えがあろうか、鮎の白乾しは、召し上がらないだろうか、そんなことはあるまい。』と言われました。」

当時、鮭は献上したけれど、乾鮭となると、下品で献上するにはふさわしくない物とされていたらしい。しかし、隆親卿には、乾鮭がふさわしくない訳がわからなかった。鮭がよくて乾鮭がわるいでは、筋が通らない、同じ物ではないかと思えた。そこで、実力行使して異を唱えたのである。兼好は、隆親卿のこの態度に好意的である。なるほど、兼好は、故実を重んじ、こうした慣習には守りたい考えの持ち主である。しかし、その一方で意味もわからず、無闇に慣習にこだわる態度にも抵抗があったのだろう。一般に、人は前例にないことや見慣れない物への抵抗がある。しかし、それによって、物事の本質を見誤ってはいけないとも考えていたようだ。

コメント

  1. すいわ より:

    鮭自体が京都では珍しかったのではないでしょうか?近くの海ではなかなか獲れないでしょうから、干物にしたものを献上、近場で取れる鮎の干物は受け入れられるのに同じ魚の(しかも美味しい)干物が何故駄目なのか?保守の壁、ですね。
    「異文化」を受け入れる事の難しさを分かりやすく示しています。でも新しいものを受け入れる事で花開く文化もあります。伝統は頑なに変わらないことではなく、伝えて磨いて、常に新しく挑戦してこその伝統なのではと思います。消えていくものには消えていく理由もある、故実にこだわる兼好、伝えられる意味にもこだわるからこそ、残されていくもの、価値あるものの本質にもこだわるのでしょう。

    • 山川 信一 より:

      総括的な鑑賞ですね。共感します。「乾鮭」とは、今の塩鮭のことでしょう。なぜこれを下品とするのか、わかりませんね。「鮎のしらぼし」はいいのに、「鮭のしらぼし」はいけないという理不尽さ。兼好は、故実を大切にするが故に、その欠点を正したいのでしょう。

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