《冬の孤独》

寛平御時きさいの宮の歌合のうた  壬生忠岑

みよしののやまのしらゆきふみわけていりにしひとのおとつれもせぬ (327)

み吉野の山の白雪踏み分けて入りにし人の訪れもせぬ

「寛平御時后の宮の歌合の歌   壬生忠岑
吉野の山の白雪を踏み分けて山に入ってしまった人が便りさえくれないことだ。」

「入りにし人」の「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。「し」は過去の助動詞「き」の連体形。「訪れもせぬ」の「も」は、係助詞で他にも同類のあることを表す。「せ」は、サ変動詞「す」の未然形。「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形。連体形で終わることで余韻を持たせている。
吉野の山がすっかり白雪に覆われている。その中、友は山に籠もるため、白雪を踏み分けて入ってしまった。そして、それきり帰って来ない。そればかりか便りさえくれないことだなあ。
吉野山は古来世を逃れて隠れ住む所であった。『古今和歌集』にも、「み吉野の山のあなたに宿もがな世の憂き時の隠れ家にせむ」(950)とある。しかし、作者は、何も雪深いこの時期に籠もらなくてもいいのではないかと反対した。けれど、友の決心は固く引き留めることができなかった。友には作者にも言えない止むに止まれぬ事情があったのだろう。作者は友との友情に一抹の寂しさを感じる。友情は片思いなのか、便りさえ来ない。まして帰って来ることなどない。生きているのかどうかもわからない。友はそんな遠い存在になってしまった。作者には、その寂しさから、吉野の里の冬が殊更寒く感じられた。

コメント

  1. まりりん より:

    長く生きていれば、色々なことがありますものね。人目を憚って山に籠りたくなる気持ちも理解できます。それにしても籠り先が雪山とは。山を降りることも出来ず、親しい人も気軽に訪ねることが出来ない。だからこそ、周囲の制止を振り切って山に入ったのでしょう。「踏み分けて」には、戻らない「覚悟」が込められているように感じます。便りさえ出さず、世間との関わりをいっさい絶ってしまうほどの事情とは、何だったのでしょう。何かの修行か、自責の念か。。作者は、友が離れていった寂しさと雪の寒さで、この冬は一層長く感じられたでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      いい鑑賞です。雪を踏み分けて山に入ることから、友の覚悟のほどが想像されますね。一方取り残された作者の寂しさが寒さと共に伝わって来ますね。

  2. すいわ より:

    この「訪れ」は「便り」の事なのですね。
    真っ新な気持ちで敢えて厳しい時季を選んでの入山、決意の固さが伺えます。
    冬の吉野山、雪を纏ったその姿は崇高で、覚悟を持たない者を寄せ付けない。君の志は頭では分かっている。俗世との繋がりを断たねば受け入れられない世界なのだろう。でも、本当にこれまでの全てをこんなにもきっぱりと切り捨ててしまうのか?便りさえ無い。置き去りにされた者の心を君は知る由もないのだろう。吉野山は冷たく白く、何も応えない、、。雪よりも尚、心が凍えて行くようです。
    親しいからこそ、分かち難い友だからこそ、一度振り返ってしまったら決意が揺らぐ。だから便りも出来ないのでしょうけれど。

    • 山川 信一 より:

      雪山を舞台にした人間ドラマが感じられますね。短歌とは世界で一番短いドラマだと再確認しました。

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