《号泣》

題しらす/このうたは、ある人のいはく、かきのもとの人まろかなり
読人不知 よみ人しらす(一説、かきのもとの人まろ)

かせふけはなみうつきしのまつなれやねにあらはれてなきぬへらなり (671)

風吹けば浪打つ岸の松なれやねに現れて泣きぬべらなり

「題知らず 詠み人知らず(一説、柿本人麻呂)
私は風が吹くと、波が打ちつける岸の松であるのか。声を出して泣いてしまいそうだ。」

「(風吹け)ば」は、接続助詞で恒常的条件を表す。「(松)なれや」の「なれ」は、断定の助動詞「なり」の已然形。「や」は、終助詞で疑問を表す。「(泣き)ぬべらなり」の「ぬ」は、自然的完了の助動詞「ぬ」の終止形。「べらなり」は、推量の助動詞で状態の推量を表す。
風が吹くと、海岸に生えている松に波が打ちつけます。すると、波によって土が削がれ根が露わになります。私はその松の根なのでしょうか。ただし、私の場合「根」ではなく、「音」が露わになります。恋を忍ぶつらさに、もうこれ以上耐えられそうにありません。今にも声を上げて泣いてしまいそうです。
作者は、今の自分を海岸の松にたとえることでわかってもらおうとしている。「風」は世間の目を表し、波の激しさはそれに耐えるつらさを表している。大の男である自分がここまで追い詰められてしまったと訴えているのである。
前の歌とは、〈泣くこと〉繋がりである。ただし、前の歌は〈泣くこと〉を「涙」という視覚で捉えるもので表しているが、この歌は「音」という聴覚で捉えるもので表している。編集者は、〈泣くこと〉を題材にした歌のバリエーションとして採用したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    噂が立ち非難の眼差しを向けられ陰口に打ちのめされる。この辛い状況を岸辺の松に見立てる。こんな状況に身を置いて「ねにあらはれてなきぬへらなり」声を上げて泣いてしまいそうだ、限界である、と。松のように、どんなに晒されてもそこから逃れる事もできない。まだ泣いていない、でも。この切迫感で迫ったら相手は応えてくれるでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      「浪打つ岸の松」のたとえば、益荒男の号泣を暗示しています。雄々しい益荒男が泣いてしまいそうなほどなのです。逢えないつらさ悲しさは想像に難くありません。でも、泣いてしまえば恋が発覚します。作者は今自分はぎりぎりのところでそれに耐えていると言うのです。これなら、たとえ恋が発覚しても相手は許してくれるのではないでしょうか。

  2. まりりん より:

    「泣くこと」も、忍ぶことや待つ事と同様に、恋に付きものなのですね。声も立てずに涙を流す姿も切ないですが、大の男が人目も憚らずに大声で泣く様子は、想像すると辛くなります。ここでは、声を上げて泣きたいのを必死に我慢しているのですね。
    「浪打つ岸の松」のように、繰り返し浪に打たれても耐えてきた私も、もうこれ以上は耐えられない、根こそぎ倒れてしまいそうです。

    • 山川 信一 より:

      海岸の松のたとえは、効果的ですね。号泣を必死に耐え作者の姿が目に浮かびます。恋心の激しさが伝わって来ますね。

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