《歌集の物語性》

題しらす よみ人しらす

たきつせのはやきこころをなにしかもひとめつつみのせきととむらむ (660)

滾つ瀬の速き心を何しかも人目つつみの堰き留むらむ

「題知らず 詠み人知らず
逆巻く瀬のように激しい心をどうして人目の堤が留めているのだろう。」

「滾つ瀬の」は、「速き」に掛かる枕詞。「(何)しかも」の「し」は、副助詞で強意を表す。「か」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「も」は、係助詞で強調を表す。「つつみ」には、「慎み」と「堤」とが掛かっている。「(留む)らむ」は、現在推量の助動詞「らむ」の連体形。
二人の恋心は逆巻く瀬のように激しく乱れています。私は逢いたくて逢いたくてなりませんが、それはあなただって私と同様のはずです。それなのに、どうして、堤が高いなどと言って、人目をそんなに憚るのですか。私には全く理解できません。結局、あなたの私への思いはその程度なのですか。
この歌は、独立した歌なのだろうが、前の歌に対する女の批判のようにも思える。前の歌で男が言い訳として「堤」を出してきたので、それに合わせて言葉を選んでいるように。あるいは、この歌は「詠み人知らず」なので、これも自分の心をもてあましている男の言い訳とも読める。この場合は、自分でも自分の心がどうにもならないのだと女に許しを請うているのである。どう捉えるかは読み手に任されている。いずれにしても、編集者はこうしてさりげなく歌集に物語性を加えている。

コメント

  1. すいわ より:

    「国語教室」で学ぶまで、ここまで丁寧に順を追って歌集を読んだ経験がなく、せいぜい同じ種類に類別してまとめて置いてある位に捉えており、こんなにも緻密に計算されて歌が並べられているとは思いもよりませんでした。編集部での様子まで思い浮かんできます。
    「いやいや小町の一連の歌、こんなの貰ったら形無しだよな」
    「いっそヘタレの男を演じてみようか?」
    「それは面白い!『堤』を歌ったもの無かったかなぁ」
    「こんな感じで如何なものだろう?」
    「うわぁ、カッコ悪、せめて、歌自体は気を効かせて工夫を凝らしたいよなぁ」、、、この歌集への思いが現代まで届けられたと思うと感慨深いですね。

    • 山川 信一 より:

      『古今和歌集』の選者たちは、きっとこんな風に編集を楽しんでいたのでしょう。遊び心満載ですね。それを読むのも『古今和歌集』を読む楽しみの一つです。

  2. まりりん より:

    個々の歌だけでなく「編集」にも着目して読むと、古今和歌集をより一層楽しめますね。今まで、歌集でも短編小説集でも編集を気にして読んだことはありませんでした。今後、読み方が少し変わりそうです。
    それにしても、すいわさんのコメントは落語を聞いているみたいで楽しいです!(拍手)

    • 山川 信一 より:

      すいわさんは、想像力豊かな方ですね。心が柔軟で、何でも楽しめるのでしょう。見習いたいですね。

  3. すいわ より:

    楽しい気持ちを共有して頂けて嬉しいです!有難うございます。
    何億光年も離れた、今はもうない星の光を見ている感覚とでも言うのでしょうか、遥か時を経て平安人たちの煌めきを私たちは今、受け取っているのですよね。一雫もこぼさないよう、次の方達へ受け渡したいですね。

    • 山川 信一 より:

      きっと『古今和歌集』の選者たちも喜んでいると思います。言葉を通じて繋がるのは、喜びの中で最大のものの一つですから。「わかった」も「わかってもらえた」も。

タイトルとURLをコピーしました