《技巧を凝らす》

題しらす 大江千里

けさはしもおきけむかたもしらさりつおもひいつるそきえてかなしき (643)

今朝はしもおきけむ方も知らざりつ思ひ出づるぞ消えて悲しき

「今朝は霜が置いたことも、いつ起きただろうかも知らなかった。思い出すと心も消え入って悲しいことだ。」

「しもおきけむ」は、「しも起きけむ」の「しも」は、副助詞で強意を表す。「けむ」は、過去推量の助動詞「けむ」の終止形。「霜置き」が物の名式に入れてある。「(知ら)ざりつ」の「ざり」は、打消の助動詞「ず」の連用形。「つ」は、意志的完了の助動詞「つ」の終止形。「(思ひ出づる)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「日出づる」が掛けてある。「消えて」は、「霜」の縁語。「悲しき」は、形容詞「悲し」の連体形。
今朝は別れの悲しみに霜が置いたことも、どうやって起きたのかもわかりませんでした。日が出てから思い出すと、心も消え入ってしまうほど悲しくなりました。
この歌も後朝の歌である。作者は、家に帰って来てから、起きた頃のことを思い出している。ところが、それが上手く思い出せないと言うことで、自分が別れの悲しみでいかに心が乱れていたかを訴えている。
前の歌と同様の時間帯に詠まれた歌である。作者は、歌に技巧を凝らしている。これは、そうすることで思いの深さを伝えるためである。編集者は、この技巧の有効な使い方を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    大江千里、上手いですよね。467番「後撒きの遅れて生ふる苗なれど徒にはならぬたのみとぞ聞く」の歌の時もそうでしたが、技巧がふんだんに凝らされていても嫌味なことなく、歌の内容を増幅させます。この歌も、冒頭の「霜」が歌のイメージを覆って、詠み手の心の内、別れの辛さで一面真っ白、冷たく儚く消えて行く幸せな時間の喪失感を温度感覚で共有出来ます。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、触覚にも訴えているのですね。「冷たく儚く消えて行く幸せな時間の喪失感を温度感覚で共有」は、鋭い指摘です。確かに「霜」ですものね。寒い朝です。

  2. まりりん より:

    「しもおき」は「霜置き」と「しも起き」、「出づる」は「思い出づる」と「(日が)出づる」、「消えて」は「霜が消えて」と「(心)が消えて」を掛けている。また、「出づる」と「消えて」が対照的。技巧に凝っている上にしっかり心がこもっていて、別れの悲しさが伝わってきます。高度な歌ですね。

    • 山川 信一 より:

      技巧が凝った歌は、自分への愛の賜物と相手は受け取るでしょうね。どうでもいい相手には、そんな歌を贈りませんから。技巧を用いるなら、こうあるべきですね。

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