第百七十五段  酒は百害の元

かかる事をしても、この世も後の世も益有るべきわざならば、いかがはせん。この世にはあやまち多く、財を失ひ、病をまうく。百薬の長とはいへど、万の病は酒よりこそおこれ。憂忘るといへど、酔ひたる人ぞ、過ぎにし憂さをも思ひ出でて泣くめる。後の世の人は、人の知恵をうしなひ、善根を焼くこと火のごとくして、悪を増し、万の戒を破りて、地獄におつべし。「酒を取りて人に飲ませたる人、五百生が間、手なき者に生る」とこそ、仏は説き給ふなれ。

「こんな事をしても、現世も来世も御利益があるはずの行いならば、仕方が無い。ところが、現世では過ちが多く、財産を失ひ、病気を患う。百薬の長とは言うけれど、すべての病は酒から起こるのである。憂いを忘れると言うけれど、酔っている人こそ過去の辛さをまでも思い出して泣くようである。来世の人は、人の知恵を失い、善根を焼くことが火のようであって、悪を増し、すべての戒律を破って、地獄に落ちるに違いない。『酒を取って人に飲ませた人は、五百回生まれ変わる間、手の無い者に生れる。』と、仏はお説きになると聞いているが・・・。」

酒の害悪がまだ続く。酒は、現世にも来世にも悪影響を及ぼす。現世では、酒が元で失敗し、財産を失い、病気にもなる。「百薬の長」は、まったくあてにならない。むしろ、病の大本である。酒は憂さを晴らすと言うけれど、むしろ逆である。酒を飲めば、憂いがかえって増す。来世でも、酒飲みは、地獄に落ち、何度生まれ変わっても悲惨な目に遭う。
このように徹底的に酒を否定する。「百薬の長」という取り柄までも退ける。ここまで言うのは、どんなに言っても言い過ぎではないと思っているからだろう。どんなに言ったところで、酒飲みは絶対に酒を止めないという諦めも見え隠れしている。

コメント

  1. すいわ より:

    「仏は説き給ふなれ」としている辺り、この言葉が何処へ向けられているかと言えばやはり法師に向けて、なのでしょう。「百薬の長」「憂忘る」以外の酒の「効用」は示されていません。酒を絶対悪として位置付けていますが、酒そのものよりそれを飲む人の心構え次第ではないかと思います。飲んでダメになるのは本人ですから。他人を巻き込まず一人でダメになる分にはその人の選択なのでそう問題にならないでしょう。と言っても、飲む人は手を替え品を替え飲む理由を作って飲むのでしょう。当時そう言われていたかは知りませんが「般若湯」なんて名前を変えて飲もうというのですから始末に負えない。仏の教えを示したところで明後日の方向向いて聞こえないふり、なのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      「酒そのものよりそれを飲む人の心構え次第ではないかと思います。」まさにそのとおりです。実は、ここまで酒をこき下ろしておいて、次にそのよさを説くのです。酒は一筋ならでは語れないということでしょう。次の展開にご注目ください。

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