《恋の得体の知れなさい》

題しらす みつね

わかこひはゆくへもしらすはてもなしあふをかきりとおもふはかりそ (611)

我が恋は行方も知らず果ても無し逢ふを限りと思ふばかりぞ

「題知らず 躬恒
私の恋は行方もわからず、果てもない。逢うのを際限と思うばかりだ。」

「(知ら)ず」は、打消の助動詞「ず」の連用形。「ばかりぞ」の「ばかり」は、副助詞で限定を表す。「ぞ」は、終助詞で強い断定を表す。
私の恋は、どこに向かっているのか、行き着く場所もわかりません。また、いつまで続くのか際限もわかりません。ただただ、あなたに逢うことができれば、それがこの恋の行き着く果てであると思うばかりです。どうか逢ってください。本当にそうかどうか確かめたいのです。
恋の得体の知れ無さ、それに伴う不安を言うことで、逢うことへの強い希望を伝えている。「我が恋は」とあるから、「あなたは違うでしょうが」と、相手を自分の上に位置付けている。相手に優越感を持たせることで、優しさを引き出そうとしたのだろう。優越感は人を優しくするので。
この歌は、内容面では、恋の得体の知れ無さ・不安といった新たな内容を扱っている。構成面では、上の句と下の句で分かれ、上の句で現状あるいは理由を述べ、下の句で決意を述べる。音韻面では、「し」と「も」の繰り返しでリズムを生み出している。また、「ず」「ば」「ぞ」の濁音が作者の強い感情を表している。編集者はこうした内容面・構成面・音韻面の周到さを評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    まだ始まってもいない恋なのですね。「お友達から」の手前。そこまでの道のりすら果てしない。それ程までにあなたは手の届かない存在。思いを遂げる以前、お目もじ叶えば僥倖。持ち上げますね。でも嫌味が無い。恋路の困難を歌いながら音の耳障りの良さも手伝ってさらりと心に流れ込んで来ます。歌も、恋も、上級者なのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      作者は、恋路に途方に暮れているように言っていますが、その実「歌も、恋も、上級者」なのでしょう。じゃなければ、これほど周到な歌は詠めません。女心をも知り尽くしていそうです。

  2. まりりん より:

    この歌を読んで、行く宛ての無い放浪の旅を思いました。放浪の旅は気分の赴くままで自由だけど、行き着く先が分からないというのは不安でしょうね。唯一違うのは「逢う」という目的があることでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      恋とは、どこに行き着くかも、いつ終わるかもわからない放浪の旅。あなたに逢うことがその到達点なのか。せめて、それを確かめてみたい。こんな風に迫られたら、女心も動きそうですね。

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