《自分の心が見せた夢》

題しらす みつね

きみをのみおもひねにねしゆめなれはわかこころからみつるなりけり (608)

君をのみ思ひ寝に寝し夢なれば我が心から見つるなりけり

「題知らず 躬恒
君をばかり思いながら寝た夢なので、私の心から見たのであったなあ。」

「のみ」は副助詞で限定を表す。「寝に寝し」の「寝」は、下二段活用の動詞「ぬ」の連用形。「し」は、経験の助動詞「き」の連体形。「夢なれば」の「なれ」は、断定の助動詞「なり」の已然形。「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「(見)つるなりけり」の「つる」は、意志的完了の助動詞「つ」の連体形。「なり」は、断定の助動詞「なり」の連用形。「けり」は、詠嘆の助動詞「けり」の終止形。
あなたのことを夢に見ました。けれども、それは私があなたのことばかり思いながら寝たからです。私の心が見せた夢なのでした。あなたが私を思ってくれて、夢に現れた訳ではないのです。
当時、恋しい人が夢に現れるのはその人が自分を思ってくれるからだと思われていた。作者は、恋人が夢に現れたのは自分の心が見せたのだとその俗信に対抗している。そうすることで、自分がいかに相手を思っているかを言いつつ、その一方でつれない相手に恨み言を言っている。
いかにも躬恒らしい歌である。この歌には、常識に囚われず、常に常識を超えていこうとする、芸術についての躬恒の考えが表れている。編集者は、その点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    今であれば、自分の気掛かりが夢に反映されると言う考えが常識的であるけれども、平安当時にいわゆる常識から離れて自分の心を見つめるという姿勢、新しかったのですね。そしてその姿勢を評価する編集者の力量も見逃せません。古今和歌集、表現のあらゆる可能性に挑戦していたのですね。

    • 山川 信一 より:

      芸術には常識への飽くなき挑戦が求められています。『古今和歌集』は、そのお手本を示していますね。

  2. まりりん より:

    「皮肉」が込められているのですね。これも露骨だと相手が不快に思うし、却って開き直られてしまうし。。しかし、相手がハッとして後ろめたい思いを覚える程度だと効果的なのかも。加減が腕の見せ所でしょうか。この躬恒の歌は、うまい具合に後者なのでは。。

    • 山川 信一 より:

      確かにその匙加減が上手ですね。これなら、皮肉を言われたといういやな気分がしなさそうです。
      それにしても、意志的完了の助動詞「つ」が利いていますね。

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