《二重の不幸》

寛平御時きさいの宮の歌合のうた よみ人しらす

こひしきにわひてたましひまよひなはむなしきからのなにやのこらむ (571)

恋しきに侘びて魂迷ひなば空しき殻の名にや残らむ

「寛平御時の后の宮の歌合の歌 詠み人知らず
恋しさに思い煩い魂が迷ってしまったら、空しい殻が名に残るだろうか。」

「(魂迷ひ)なば」の「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。「ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(何)や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(残ら)む」は、推量の助動詞「む」の連体形。
あの人を恋しく思うつらさに魂がこの身を離れ出て迷ってしまったら、魂の脱けた殻が残ってしまって、あの人は恋の脱け殻になったと評判になるだろうか。
歌は、相手に贈るために詠むのが普通だけれど、自分の気持ちを慰めるために詠むこともある。この歌は、後者かも知れない。と言うのも、この歌で恋人の心を動かせるとは思えないからだ。しかし、前者であれば、一応の効果が期待できる。自虐的ではあるけれど、自己を外側から眺められるからだ。
恋をすると魂の抜けた状態になることもある。その状態はまさに中身の無い脱け殻と言うのにふさわしい。しかも、これだけでも十分につらいのに、人は口さがないものである。無責任・無遠慮に噂を立てる。これも、恋に落ちた者が被る災難の一つである。こうして、恋する者は、二重の不幸に見舞われる。編集者は、それを捉えた点を評価したのだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    大切な人の喪失や手痛い失恋をした時、余りの悲しみに人間は抜け殻のようになってしまうこと、ありますね。そんな時、前者であれば周囲は同情してくれて優しい言葉をかけてくれますが、後者の場合は確かに厳しい声も聞こえて来ます。当人は悲しいのに…なぜでしょう…?そこにはきっと、嫉妬とか軽蔑とか、人間の複雑な心情が絡んでいるのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      私は、前者=相手を口説く歌、後者=自身を慰める歌としましたが、このコメントとの齟齬を感じます。まりりんさんの言う周囲とは何でしょう?また、周囲と歌の関係はどうなってるのでしょう?

      • まりりん より:

        失礼しました、誤解を生むような書き方をしてしまいました。
        私がコメントに書いた前者は大切な人を失った時、後者は失恋をした時。周囲というのは、無責任に噂を立てる人たちのつもりでした。。

  2. すいわ より:

    口さがない噂が恋に苦しむ心を二重に傷つける。そんな経験があってのこの歌なのでしょうか。噂を聞いて初めて相手は詠み人に関心を抱くのかもしれない。結果的に相手の気を引くことができるのなら、空っぽの自分であっても相手に見て欲しいものなのでしょうか。俯瞰でこの様子を見ている詠み人。案外冷静に観察しているようにも思えます。
    この歌、蝉の抜け殻(空蝉)をまず思い浮かべました。心の状態を可視的になぞらえたそれが、虚しくはあっても忌避されるような扱いにならないのは、皆が恋の苦しみを知っていて共感するところがあるからなのでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      もちろん、歌の背後には作者自身の経験があるはずです。経験がなければ、リアリティは生み出せません。これはぼやきなのでしょう。私を恋の脱け殻にしたのはあなたなのですと迫ったのでは相手は振り向いてくれなさそうです。

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