《深き心》

題しらす 読人しらす

とふとりのこゑもきこえぬおくやまのふかきこころをひとはしらなむ (535)

飛ぶ鳥の声も聞こえぬ奥山の深き心を人は知らなむ

「飛ぶ鳥の声も聞こえない奥山のように深い心を人は知ってほしいな。」

「飛ぶ鳥の声も聞こえぬ奥山の」は、「深き」を導く序詞。「(知ら)なむ」は、願望の終助詞。
私は深い心であなたのことを思っています。深い心とは、あなたをどこまでも深く思う心のことです。決して、表面的で薄っぺらな心ではありません。心の奥底からあなたのことを思っています。それどころか、今の私の心にはあなたしかいません。周りからの雑音など一切聞こえてきません。そんなものは、今の私にはどうでもいいことだからです。たとえて言えば、都にいながらも、飛ぶ鳥の声さえも聞こえない奥山にいるかのようです。こう言えばわかっていただけるでしょうか。どうかわかってください。
作者は、恋人を深く思う心を「飛ぶ鳥の声も聞こえぬ奥山の」という序詞で表している。「奥山」の奥深さにたとえるためである。「飛ぶ鳥」を出したのは、高さを感じさせ、深さを強調するためである。「飛ぶ鳥の声も聞こえぬ」と言うのは、たとえば鹿の声さえも聞こえない、人間界から閉ざされた静けさを言うためである。こうして雑音、雑念の無さを印象づけている。しかし、反面、そんな自分の心が恋人にわかってもらえないのではないかという不安もある。あまりに人間世界から離れた奥山からでは、心が届きにくいと思うからだ。
前の歌とは、山繋がりである。「奥山」は、一般名詞であるけれど、「飛ぶ鳥の声も聞こえぬ」によって特別感を出し、それによって、深い心にまつわる心を表している。編集者は、この点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「飛ぶ鳥の声も聞こえぬ」とあると、奥山がただ遠いだけでなく何かに遮られ一続きの空間ではなくなってしまうような隔絶感を感じさせます。地続きの山奥でなく、飛ぶ鳥よりまだ遥か高く山にかかった雲の向こう側といったような絶対的な手の届かない場所。だから鳥の声すら届かない。それ程までの思いの深さ、知って欲しいのはあなた、ただ一人。どうかこの心に触れて欲しい、と。もう一歩踏み出す必要がありそうです。

    • 山川 信一 より:

      奥山の深い心は、矛盾した面を持っています。それは、誰一人手の届かない程の思いの深さとそれ故に届かないもどかしさです。では、もう一歩踏み出すにはどうしたらいいのでしょうか?この歌は、「人は知らなむ」と言って、そのわからなさを詠んでいますね。

  2. まりりん より:

    山が続きますね。
    奥山のように深い心であなたを思っている、そしてこの思いはさらに奥深く真っ暗闇の中で彷徨って行き着く先がわからない。どうしたら良いのだろうか。。
    不安と戸惑いの気持ちを読んでいる筈なのに、あまり暗さは感じません。「飛ぶ鳥」に生命力を感じるからでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      同じ山でも「奥山」だけでは、「富士山」ほとのインパクトがありません。そこで冠したのが「飛ぶ鳥の声も聞こえぬ」でした。その効果をどう捉えるかですね。確かに「生命力」も感じますね。作者の恋心の躍動感を暗示したのでしょうか。

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