《富士山のたとえ》

題しらす 読人しらす

ひとしれぬおもひをつねにするかなるふしのやまこそわかみなりけれ (534)

人知れぬ思ひを常にするかなる富士の山こそ我が身なりけれ

「人知れぬ思い(火)を常に存する、駿河にある富士の山こそが私の身なのだったのだがなあ。」

「するかなる」は、「駿河」と「(思ひを)する」の掛詞。「思ひ」には、「火」が掛かっている。「(するが)なる」は、断定の助動詞「なり」の連体形で「・・・にある」の意。「(知れ)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし、以下に逆接で繋げる。「なりけれ」の「なり」は、断定の助動詞「なり」の連用形。「けれ」は、詠嘆の助動詞「けり」の已然形。
私はいつも人知れずあなたへの恋の炎を燃やし続けています。それは、駿河にある富士山そっくりなのです。なぜなら、富士山も常に人知れず火を燃やし続けているからです。私はそのことに気づき、我ながら感動しました。でも、あなたには気づいていただけていないようですね。
作者は自分を富士山にたとえる。富士山は内部では火が燃えているけれど、それは見えない。それが恋人を人知れず恋の炎を燃やしている自分そのものだと言うのだ。当時の富士山は煙は出しているけれど、噴火はしていなかったようだ。しかし、煙によって内部で燃えていることはわかる。この歌は、その煙に当たると言うのだろう。
編集者は、海の関連で題材を山に変えた。さて、歌は、三十一文字でいかに多くの情報を伝えるかも重要である。この歌では、富士山のたとえ、掛詞、「こそ・・・已然形」によって、表れている言葉以上の情報を伝えている。しかも、富士山のたとえは、もう一つの意味を伝えている。それは、自分の恋心が富士山のように気高いということである。編集者は、作者のこの周到さを評価したのだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    富士山は、美しいですよね。疫病が大流行しようが、大地震が起きようが大津波に襲われようが、原爆が落ちようが、我関せずとばかりにいつも同じにどっしりと、優美な姿を構えている。富士山の例えには、たとえ何が起ころうとも私の恋心は変わらない、と言う意味もあるような気がします。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、気高さだけではなさそうですね。富士山の持つ特性、たとえば、不変性を含めてすべてなのでしょう。大きく出たものですね。

  2. すいわ より:

    自分を富士山にたとえるとは随分大きく出るものだと思いました。実際に富士山を見た事のない人が多くても、噴火という事実は伝わっていて「噂の富士山」だったのかも知れませんね。表立って思いは露わにはしないけれど、熱い思いを内部に秘めている。他者に知られてはならない思い。その事を歌に詠みあなたに渡すと言うことは、、この思いはあなただけに向けたもの。崇高にして普遍な思いをあなたに(歌をもって)たなびかせる。鷹揚な態度が高貴な立場にある人なのかと想像させます。

    • 山川 信一 より:

      見たこともがなくても知っていることって有りますよね。当時の貴族にとって富士山もそれでしょう。見たことが無い分かえって存在が誇張されたもかも知れません。作者はそれを利用しました。それにしても、富士山をたとえに持ってくるからにはそれなりの自信が感じられます。高貴な立場にある人は肯けます。相手は煙のようにたなびきそうですね。

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