《沖の白波の私》

題しらす 在原元方

たちかへりあはれとそおもふよそにてもひとにこころをおきつしらなみ (474)

立かへりあはれとぞ思ふよそにても人に心をおきつ白浪

「繰り返ししみじみ恋しいと思う。離れた所にいても人に心を置く沖の白波。」

「(あはれと)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「思ふ」は、四段活用の動詞「思ふ」の連体形。ここで切れる。「おきつ白波」の「おき」は、「沖」と「置き」の掛詞。「(おき)つ」は、格助詞(連体修飾語を作る)と意志的完了の助動詞「つ」(終止形)の掛詞。
繰り返し繰り返しあなたのことをしみじみ恋しく思います。あなたには、直接逢うことができず離れた所にあっても、心を置いてしまいました。浜に打ち寄せる沖の白波を思い浮かべてください。それが今の私の恋心なのです。
近付くことが出来ず、離れて思うしかない人への恋心を詠んだ。しかし、恋心は障害があればあるほど、燃え上がる一面もある。逢えないのは、恋にとって決してマイナスではない。なぜなら、逢えない悲しみにいることこそが恋の本質だからだ。成就すれば恋は終わってしまう。
とは言え、何とか逢いたいと願うのも恋心である。逢うためには、相手の心を動かさねばならない。だから、こちらの心を伝えようとする。しかし、心という見えないものを伝えるには工夫が要る。その一つが自然物にたとえる方法である。この歌では、自分の思いを沖で生まれ、繰り返し繰り返し浜に打ち寄せる白波にたとえている。これなら、歌を受け取った方もイメージしやすい。もちろん、これに答えるかどうかは相手次第ではある。しかし、心は伝わったに違いない。

コメント

  1. まりりん より:

    白波が作者の恋心だとしたら、浜が恋する相手の心でしょうか。何度も何度も、繰り返し恋する人に近づこうとする。でも気持ちを受け止めてもらえなかったのでしょうか。波は最後は浜に消えてしまう。いっ時鎮まり、諦めたかと思っていると、また遠くの沖からやって来て…高く立つ波は、激しく燃え上がる気持ちを表すかのよう。いつの日か心が伝わり、受け入れて貰えるでしょうか?

    • 山川 信一 より:

      尽きることのない恋心をたとえるのに波はふさわしい。波を「白波」とするのは、読み手によりイメージしやすくするためです。作者は、白波に託して、恋の相手に今の自分を説明しています。ただ、あまり恋の成就を願っているようでもありません。相手の気持ちとは別の、どうにもならない障害があるようです。だから、取り敢えず、自分の心を伝えています。これも「立派な」恋です。

      • まりりん より:

        確かに、色々な恋愛の形がありますものね。密かに思っているだけで満足、偶然にその人が近くに来るとドキドキして、そういうのも楽しいですね。人生の潤いになります。

        • 山川 信一 より:

          恋をどう捉えるかによって、恋はいかようにも味わえます。『古今和歌集』の歌は、その味わい方を教えてくれそうですね。

  2. すいわ より:

    「たちかへり」で寄せては返す波のように心の揺れを感じさせますね。「おきつしらなみ」二人の間は海に隔てられているけれど、遥か彼方からでも貴女に心寄せて水際まで波立つ私の心を届けてしまう。でも「君」でなく「ひと」なのですよね。これから知り合う為に贈った歌。波と砕けることなく真心が届くと良いですね。

    • 山川 信一 より:

      恋の相手は、まだ「君」とは言えない遠い存在。だから、「人」と言います。そして、これはずっと「人」のままなのでしょう。決して成就しない恋も恋であることに変わりはありません。作者が詠んでいるのはそんな恋です。

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