《噂だけによる恋》

題しらす 在原元方

おとはやまおとにききつつあふさかのせきのこなたにとしをふるかな (473)

音羽山音に聞きつつ逢坂の関のこなたに年を経るかな

「噂に聞きながら逢坂の関のこちらに年を過ごすのだなあ。」

「音羽山」は、「音」に掛かる枕詞。「(聞き)つつ」は、接続助詞で反復継続を表す。「(経る)かな」は、詠嘆の終助詞。
京都と近江の境に連なる音羽山。その「音」とは、すなわち、噂。あなたの噂は聞いている。なのに、その噂を耳にしながら、音羽山の一角にある逢坂の関が越えられない。そこを越えればあなたの住む近江に入り、めでたく逢う身になれる。それなのに、逢う身とならずに年月を過ごすことだなあ。
「音羽山」は、近江(滋賀県)と京都の県境に連なる山々。逢坂の関はその中にある。そこを越えれば、「あふみ」(近江・逢ふ身)になる。作者は、京都にいることがわかる。何らかの事情があって、近江には行かれないのだ。噂に身を焦がしながら今年も暮れていく。そんな片恋を詠んでいる。実際に逢うばかりが恋ではない。噂に恋心を募らせ、悩むのも恋である。それでも、噂さえない前の歌よりはましではないか。

 

コメント

  1. まりりん より:

    恋愛は、始まるか始まらないかの頃、始まったばかりの頃が一番楽しいですよね。時間が経ってしまうと、つまらなくなったり不満が募ったり、、時には修羅場になったり。。
    更に物理的な距離があると、お互いを愛しく想う気持ちは強くなるのかも知れません。ただこの距離も最初は良いけれど、それに時間の長さが加わるとやはり気持ちは離れていきますが。でも現代では遠くにいても顔を見て話ができる手段がありますものね。そういえば、どこぞの高貴なお姫様が見事に遠距離恋愛を成就させて世間を騒がせたことがありましたね。

    • 山川 信一 より:

      恋愛にも始まりがあれば終わりもあります。まるで、恋愛それ自体が命を持っているみたいです。なるほど、始まった頃が一番いいという気もしますね。ただ、それはそれでつらくもあります。つまり、恋愛のどの時点をとっても、変わりません。結論を出す前に、恋愛の諸相をつぶさに見ていきましょう。現代の恋愛との比較も興味深いですね。

  2. すいわ より:

    貴女の噂はこんなにも私に届いてくるというのに今年も会えずじまいで暮れて行く、、と悲嘆しているというより、もう一歩乗り出して「貴女はこんなに噂になる程素敵なのですね、私はそんな貴女を年を越してしまうくらいずっと思い続けて来ました。逢坂の関を開けるか決めるのは貴女、さぁ、どうしますか?(どうぞ会って下さい)」と決定権を女に持たせ、年を越してしまう、と時間を意識させて返答を促しているようにも思えました。前回の歌よりも交渉が巧みで余裕を感じさせます。

    • 山川 信一 より:

      和歌は基本的に独白ではなく、贈答です。ですから、すいわさんの考えが正しいと思います。この歌は、女性の心を動かすために作ったのでしょう。現代の自閉した短歌とは対照的です。短歌は見習いたいものです。

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