《船路への思い》

からさき あほのつねみ(阿保経覧)

かのかたにいつからさきにわたりけむなみちはあとものこらさりけり (458)

かの方にいつから先に渡りけむ浪路は跡も残らざりけり

「あの方にいつから先に渡ったのだろう。波路は跡も残らなかったなあ。」

「(渡り)けむ」は、過去推量の助動詞の連体形。ここで切れる。「(残ら)ざりけり」の「ざり」は、打消の助動詞「ず」の連用形。「けり」は、詠嘆の助動詞「けり」の終止形。
あの舟は、唐崎の方に私よりも先にいつから渡って行ったのだろう。その船が通った跡も全く見えないことだなあ。
唐崎は、滋賀県の琵琶湖西岸の地名。作者も舟で唐崎に向かう。唐崎から延暦寺に向かうのだろうか。その時、目指す方向に遠く見える舟を見た。琵琶湖の広さ、自分の舟がそこまで行くまでの時間の遙けさ、頼りなさを感じる。更に、この思いは連想から次のような嘆きを呼び起こしたのかも知れない。人と人との結びつきは、たとえ同じものを目指していても、希薄であり、当てにできないものなのだと。
「いつから」の「から」がやや不自然に感じるのは、この歌が物名だからだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    昔の人は湖と海を分けていたのでしょうか?琵琶湖の大きさを思うと海(江)の扱いだったのでしょう。それでも海と湖では性質が違う。波音もしない湖、彼方に見える船は水先案内になるかと思いきや進んだ形跡すら残していない。吸い込まれてしまいそうに静かな水面。前の歌の躍動感と比べると行く先への不安感、心許なさを感じさせます。

    • 山川 信一 より:

      湖は、水の海の意です。ですから、湖と海の違いは、塩があるかどうかです。湖にも波は立ちます。波音もします。ましてここは、日本一大きい琵琶湖ですから、海と変わりません。その広がりに不安感も募ったことでしょう。この歌は、そうした思いとそこから連想される思いとを詠んだのでしょう。

  2. まりりん より:

    作者は、船で琵琶湖を渡っている時、孤独で不安だった。それが、遠くに同じ方向に向かっている船を見つけた。仲間を見つけたようでほっとしたのも束の間、船との距離は縮まらず、却って離れていくような気さえする。やっぱり人はあてにできない、自分は一人で辿り着かなくてはならない。「浪路は跡も残らざりけり」に哀しみが垣間見える気がします。

    • 山川 信一 より:

      舟での経験が人生への教訓になって感じられたのでしょう。人は一人で哀しみを抱えながら生きていくのだという思いを深くしたことでしょう。このように人は経験から人生の意味を引き出します。

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