《藤原氏の繁栄を祝う》

春宮のむまれたまへりける時にまゐりてよめる 典侍藤原よるかの朝臣

みねたかきかすかのやまにいつるひはくもるときなくてらすへらなり (364)

峰高き春日の山に出づる日は曇る時無く照らすべらなり

「皇太子がお生まれになった時に参って詠んだ  典侍藤原因香の朝臣
峰の高い春日野山に出る日は曇ることなく照らすに違いない。」

「(照らす)べらなり」は、推量の助動詞「べらなり」の終止形。
醍醐天皇の春宮様がお生まれになり、お祝いに参りました折に詠んだ歌でございます。藤原氏の氏神である春日神社の後には春日の山が控えております。その高い山頂から今まさに出た太陽は、曇ることなく地上を照らすに違いありません。その太陽と同じように、春宮様もいずれ皇位にお付きになり、太平の世をお治めになるに違いございません。藤原一族のますますの繁栄をお慶び申し上げます。」
祝いの歌には、誕生祝いの歌もある。生まれた子の栄えある未来を願うのである。考えてみれば、これが賀の歌の原点だろう。人生はここから始まるのだから。ただしこの歌はそれだけに留まらない。醍醐天皇の后は、藤原基経の娘中宮穏子である。皇太子保明親王が生まれたことは、藤原氏の繁栄に繋がる。因香は、それを祝っているのである。

コメント

  1. まりりん より:

    長寿を祝う歌から一転、誕生を祝う歌ですね。
    「春日の山に出る日」は、皇太子と同時に、藤原一族を例えていると。「峰高き」に藤原氏の誇りと、より一層の一族の繁栄を願う気持ちが表れているように思えます。とても力強く、希望に満ち溢れていますね。誕生を祝う歌にふさわしいと思います。

    • 山川 信一 より:

      この歌が「賀」の部の最後になることに藤原氏の権力の程を感じさせますね。政治は何にでも作用するのでしょう。

  2. すいわ より:

    もっとも高い位置で光り輝く太陽。皇太子の存在こそが太陽そのものであり、その光を雲が遮ることなど無い。その光の恵みはあまねく地を照らすのですね。この子の誕生が我が一族の安泰、という含みが何とも。皇太子自身の明るい健やかな未来を祈りたい。一族の繁栄こそが皇太子の幸せ?生まれた途端に一族の命運を背負うのですね。

    • 山川 信一 より:

      皇太子の誕生を祝うのも一族繁栄に繋がるからなのでしょう。作者も藤原一族ですからね。あらん限りの祝辞が述べられます。

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