巻六:冬  《冬の到来》

題しらす よみ人しらす

たつたかはにしきおりかくかみなつきしくれのあめをたてぬきにして(314)

竜田河錦織り掛く神無月時雨の雨を経緯にして

「竜田河に錦を織って掛ける。神無月が時雨の雨を縦糸と横糸にして。」

「織り掛く」で切れる。以下は倒置になっている。「神無月」が擬人化されている。
竜田河に紅葉が流れている。それはまるで錦を織って掛けてあるように美しい。時雨の細い雨が降っている。その錦は、神無月が時雨の雨を縦糸と横糸にして織り上げたものなのだ。いよいよ冬が到来した。
「錦(紅葉)」と「時雨」を題材とした歌は、秋下の284に「竜田川紅葉葉流る神なびの御室の山に時雨降るらし」がある。それなのに、冬の巻頭に再び同じ題材の歌が出て来た。その理由は、この歌が冬と秋との繋がりを示しているからである。季節は、截然と変わるものではない。前の季節の名残を引きずりながら、行きつ戻りつ移りゆく。春で言えば、三寒四温のように。もちろん、優勢なのは次の季節で、ここでは冬である。作者はそのことを「神無月」が時雨を糸にして錦を織ったと擬人化することで印象づけている。冬の始まりの月である「神無月」を主役にしたのだ。それゆえ、編者は、この歌を冬の始まりにふさわしい歌だと判断して、冬の巻の巻頭に置いた。
ちなみに「時雨の雨」と敢えて「(の)雨」と言うのは、「時雨」全体ではなく、雨自体を意識しているからだ。だから、糸に思えるのである。

コメント

  1. まりりん より:

    紅葉の錦も美しかったけれど、時雨の錦も凛として美しいのでしょうね。
    なるほど、季節の変わり目ということですね。確かに、いきなりポン!と秋から冬に変わるわけではないですものね。行ったり来たりしながら季節がすすむそのわずかな時期の感慨を歌に詠む。こういうところが日本の四季の素晴らしさで、古来からの日本人の心の繊細なところと、改めて誇らしく思います。

    • 山川 信一 より:

      この歌には、季節の移り変わりの「まこと(真実)」が詠まれていますね。つまり、日本の四季の真実が捉えられています。決して、言葉遊びだけの作り事ではありません。そこを味わいたいですね。

  2. すいわ より:

    最初、竜田川が横糸、時雨の雨が経糸だと思ったのですが、竜田川の水はあくまでも無色透明、色を変化させる時雨の糸を使って「神無月」が錦を織り上げているのですね。「神無(の)月」、神々が集い合議する場へと向かう。レッドカーペットではないけれど、竜田川に錦を掛けて、その上を神々が渡っていく様子を思い浮かべてしまいました。

    • 山川 信一 より:

      神々の「レッドカーペット」!大胆でユニークな捉え方に脱帽です。そんな風に思えてきました。なるほど、神無月ですから神々は出雲へ旅に出ますからね。

    • まりりん より:

      レッドカーペット!素敵です! 八百万の神が集まって行く壮麗な光景が目に浮かんできます。

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