雲林院にてさくらの花のちりけるを見てよめる そうく法師
さくらちるはなのところははるなからゆきそふりつつきえかてにする (75)
桜散る花の所は春ながら雪ぞ降りつつ消えがてにする
雲林院:雲林院は、元は淳和天皇の離宮だったが、常康親王に与え、親王御出家後に僧正遍昭に附属した。
「桜が散る花の雲林院は春でありながら雪が後から後から降り続け消えきれないでいる。」
落花を雪に見立てている。雲林院は沢山の桜が植えてある桜の名所だったのだろう。それを「花の所」と言っている。落花の中にいると、上下左右の空間が落花で覆い尽くされる。まるで降る雪の中にいるようだ。ただ、花びらは地面に落ちても、雪のように消えることはない。それが独特の美しさを見せている。落花が短い時間の中に創り出す美しさを捉えている。
前の歌で僧正遍昭の名が上がったので、その関連で雲林院の桜の歌を上げている。僧正遍昭が桜を目当てに惟喬親王を訪ねなかったのは、雲林院の見事な桜を眺めていたからだと言いたいのかもしれない。
コメント
「消えがてにする」は「消えがたい」という意味でしょうか。
桜の名所の雲林院。散る時も一斉に花びらが舞うのでしょう。花びらがこぼれ落ちて、さながら雪に覆われたかのよう。本当の春の雪ならあっという間に溶けて積もることはない。溶けずに降り積む桜に心も埋め尽くされて前後不覚、季節も春だというのに逆行して雪と見紛ってしまう。
そうく法師の詠んだ雲林院がこれ程の桜だとしたら、なるほど僧正遍昭は他所の春に思い至らないかもしれませんね。編集の仕方で個々の歌が物語性を帯びて語りかけてくるようで面白いです。
「がてにす」は「・・・しかねる」「・・・しにくがる」を意味します。「消えがてにす」だと、「消えかねる」「消えきれない」という意味になります。
桜の美しさをこれでもかというくらい様々な表現で表しています。『古今和歌集』は、まるで表現の実験室のようです。その上、編集が面白い。
雲林院の桜のせいで会いに来てくれないと嫉妬してるんですね。
ほんとに、桜の花の美しさをこれでもかというくらい次々とあげてきますね。
落下の花びら、私も好きです。桜吹雪がピンクの絨毯になります。
綺麗だなあ。
桜は時代を超えて人々を虜にする魅力的な花ですね。
日本人に生まれてよかったと思います。
ピンクの絨毯になった桜も美しいですね。私も大好きです。ただ、ソメイヨシノの花びらは淡く儚い感じがします。美しさでは、八重桜に叶わない気がします。これは濃艶な美しさです。
当時の桜はどんな色だったのでしょう?雪にたとえられているから、淡い淡いピンク色だったのでしょう。それでも、桜は桜です。『古今和歌集』の歌はよくわかりますね。